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【話の肖像画】元日銀副総裁・ジャーナリスト 藤原作弥(82)(3) 「ゼロ金利」解除めぐる攻防

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衆院大蔵委員会(当時)で答弁に立つ =平成10年
衆院大蔵委員会(当時)で答弁に立つ =平成10年

 《日銀副総裁在任中の5年間(平成10~15年)は苦闘の連続。日本経済は経験したことのないデフレ不況から抜け出せず、綱渡りのかじ取りを迫られた。こうした中で、景気に明るい兆しが見え始めた平成12年8月、日銀は、改正日銀法(10年4月施行)の柱である「独立性」を前面に出し、政府・与党の反対を押し切って「ゼロ金利」政策の解除に踏み切る》

 総裁の速水(優(まさる))さんは、「ゼロ金利」は景気刺激のための“非常措置”という考えが強かったと思います。一般の預金者の金利収入は減って庶民は困っているし、生命保険や年金基金などの運用難も深刻になっている。遅まきながら経済の実態が追いついてきた12年2月ごろから「出口」を模索し始めていました。速水さんは、敬虔(けいけん)なクリスチャンで、信念の人。頑固(がんこ)な一面もあり、いったん確信をもったら容易に考えは変えません。政府・与党は、「とんでもない」「時期尚早だ」と一貫して反対の立場でしたが、独立性をうたった新法の精神からも「政治の介入」を許してはならないという思いは当然、あったでしょう。

 金融政策決定会合で解除か否かの決を採る審議の前日には、宮沢喜一蔵相(当時)から私のところへ「何とか速水さんを止められませんか」と電話がありました。私は「ここまで来たら無理でしょう。やらざるを得ません」と答えました。宮沢さんは“伝家の宝刀”である「議決延期請求権」を発動して待ったをかけることをほのめかしたけれど、決して激しいやりとりではなく、終始冷静でしたね。

 《当日の会合で、果たして政府代表(議決権はない)は、初めて議決延期請求の動議を出す強硬手段に出る。だが否決され、続く「ゼロ金利」解除の採決は、賛成7、反対2で可決された。ところがその後、思わぬ事態が発生した。アメリカを中心としたITバブルの崩壊によって景気は再び悪化へ転じてしまう》

 アメリカ経済が、世界経済安定の基盤になっていましたからね。それが突然、劇的に悪くなるとはアメリカ自身も思っていません。言い訳になるかもしれませんが、予想外の事態が起きて、日本経済も影響を受けたのが原因でした。

 でも、政府・与党やメディアからは「拙速だった」、もっと言えば、「それみたことか」と非難を浴びました。つまり、「独立性」などという“オモチャ”を与えるから、こんな事態を招いてしまったのだ…とね。

 《景気低迷は続き、日銀は約半年後、今度は、金利を操作対象にしない「量的緩和」政策へとかじを切る。それは世界中、どこの国もやったことのない、実験的な政策だった》

 薄氷を踏む思いでしたが、もはや金利を操作するような状況ではない。「質」ではなく、「量」で対応すべき状況だという判断でした。

 結果的に在任中は、デフレからの脱却はできず、今も「判断を誤った」と批判されていますが、私はそうは思いません。方向性は間違っていなかったし、あまりに独立性のない現在の日銀と比べても、新法の精神に沿って一歩を踏み出した5年間だったと思うのです。(聞き手 喜多由浩)

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