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【話の肖像画】元日銀副総裁・ジャーナリスト 藤原作弥(82)(2) 「夜回り禁止」古巣が非難

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就任会見に臨む速水優日銀総裁(左)と藤原副総裁 =平成10年3月、日銀
就任会見に臨む速水優日銀総裁(左)と藤原副総裁 =平成10年3月、日銀

 《任された日銀のヒト、モノ、カネ、カルチャーの大改革。5年間の副総裁在任中に、約6千人だった職員数は約5千人に。メガバンク並みの給与水準も段階的に下げ、不採算支店の廃止や保養所、ゴルフ会員権の売却にも手をつけた。総裁経験者が就いていた名誉顧問制度の廃止では、“満州人脈”で親しい間柄だった三重野康(みえの・やすし)元総裁も対象に…》

 三重野さんは、お父さんが満鉄に勤めていて奉天(現中国・瀋陽)育ち。日銀記者クラブ詰め時代にも、取材させてもらいましたが、親しくなったのはむしろ、私が満州関係のノンフィクションを書いたときでしょうね。副総裁就任の話を受けたときも相談したし、私を推薦してくれた中の一人だったことも聞きました。

 ただ、私が担当した改革(優遇措置の廃止など)に対して、三重野さんをはじめ、面と向かって“恨み言”を言った人は誰ひとりいません。若手職員らの間で怨嗟(えんさ)の声が上がったらしいことは伝わってきましたけど…。いずれにせよ、政府、国会が決めたことですから反対するわけにはいきません。日銀だけでなく、大蔵省(当時)などからも逮捕者が出て、社会の批判が高まり、騒然とした雰囲気だったのです。私の役割は「矢面に立つ」スケープゴートにあるんだ、と覚悟を決めていました。

 《改革は、市中銀行に対する“エリート意識”の改善や学閥の解消、難解な専門用語の見直し、女性職員の制服廃止にまで》

 まぁ、いきなりガラっとは変えられないものもあるし、形には見えにくいものもあります。自己採点をしてみたら、想定していた「70~80%」くらいだったでしょうか。結果的に、やれなかったことのひとつに、不採算支店の廃止がありました。小樽と北九州の2支店の廃止を予定し、何度も地元に足を運んで関係各所の説得に当たりましたが、特に地元選出の国会議員の反対がすごい。北九州支店の場合は、それこそ自民党から共産党まで共闘して抵抗し、廃止できませんでしたね(小樽支店は廃止)。

 《副総裁としての仕事はリストラ担当だけではない。広報担当、そしてもちろん、日本の金融政策や重要事項を決定する日銀政策委員会の9人(正副総裁3人と審議委員6人)の1人としてボードメンバーに加わった》

 就任の記者会見で、私が「(金融政策は)素人…。(日銀の)平均的知能指数を下げることになる」と、“日本的な謙遜”の意味も込めて話したことが、内外のメディアにも取り上げられ、揶揄(やゆ)されました。今度の副総裁は自分で「素人」だと言っている、とね。週刊誌に、「屁(へ)のような存在感のない」と書かれたのはさすがにこたえましたねぇ(苦笑)。

 公団団地の4階に住んでいて、家は狭いし、周りの迷惑にもなるので、記者の「夜回り、朝駆け(夜間、早朝に自宅へ取材に行くこと)お断り」を打ち出したら、記者出身のくせにと、たちまち古巣からブーイング。それでもやってくる記者には近くの公園で応対しましたが、やっと理解してもらったのは任期も終わりに近づいたころでしょうか。(聞き手 喜多由浩)

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