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【新元号】歴史家・磯田道史氏「国書出典で元号は第4段階に」「俗用回避に苦労したのでは」

歴史家・磯田道史氏(寺口純平撮影)
歴史家・磯田道史氏(寺口純平撮影)

 有史始まって以来、国内の書物、国書を出典とした元号が定められたことに、ちょっと驚きも感じています。出典として中国のものも並べるかなとも思いましたが、国書のみを出典としているということも珍しいと思います。

 「令和」は、いろんな読み方が可能かとも思います。(令和は)大伴旅人(おおとものたびと)らが天平2(730)年に詠んだ歌の前書きが出典です。

 元号への態度は4段階を経たと考えています。中国の年号を使う段階があり、沖縄(琉球)では江戸時代まであったわけです。

 その次、中国の制度の干支(かんし)、つまり「えと」を使うというのが「倭の五王の時代」(5世紀ごろ)で、これが第2段階です。中国に遠慮して独自の元号はおそらく持っていないという段階が600年代まで続きました。

 その後、第3段階として「大化」(645年)や「大宝」(701年)のころから独自の元号を使い始めたのですが、出典はあくまで中国だったわけです。

 今回、出典も国書になったということでいえば、1300年以上のわれわれの元号の歴史で4段階目に入ったといえます。

 ただ、(日本が)漢字圏でずっとやってきていることを言うため、(「令和」について)中国の出典も示す方法もとるかなと思っていましたけれども、単独になったということでしょうね。

 「令和」は漢文の序文なんですね。万葉集の梅の歌をずらっと宴会で詠んだものの冒頭に置かれた序なんです。「初春令月、気淑風和」の歌で、「月」の上にある「令」と、「風」の下にある「和」は遠くにありますが、これを合わせたのは、やはり俗用を避ける、よくある名前や会社名を避けるために相当苦労してつけた元号だなと思いました。(酒井充)

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