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【文芸時評】4月号 早稲田大学教授・石原千秋 宛先のない欲望

 大学院のゼミ生が、昭和初期に大流行した量子物理学という科学を文学者がどう受け止めたかを論じて博士の学位を授与されるので、はじめて卒業式に出てみた。総長が祝辞で「いま人類は最も変化の速い時代を経験している。しかし、これほど変化の遅い時代を経験することは二度とないだろう」というようなことを言っている。「ホー、洒落(しゃれ)ているなあ」と思ったら、カナダの首相の言葉だそうだ。要するに、これから人類の経験する変化はこんなものではありませんよということだが、みごとなレトリックだ。

 なにがそれほどまでに変化を加速させるのだろう。もちろん科学である。いま科学は脳と人工知能の研究に集中しているようにさえ見える。いや僕が問いたいのは、なぜ人類はそんなに変化を加速させたがっているのかだった。もちろん欲望がそうさせるのである。それは誰の欲望で、その欲望に宛先(あてさき)はあるのだろうか。

 川上未映子「夏物語」(文学界)千枚が、先月と今月で完結した。精子提供で生まれた人が連鎖する人工授精をめぐる物語。作家になった夏目夏子は若い頃からセックスに拒絶反応があり、未婚のままAID(配偶者の関係にない者同士の人工授精)を選ぶ。相手は、AIDの会合で運命のように出会ったフリーの医師・逢沢潤。彼もAIDで生まれた人である。

 こうしたストーリーを踏まえると、終わり近くのこの文章をどう読めばいいのか途方に暮れる。「逢沢さんと子どもを作ることを決めたのは二〇一七年の暮れで、わたしたちはいくつかの約束をした。」。問題は「と」だ。「逢沢さんと」「作る」のか、「逢沢さんと」「決めた」のか。「逢沢さんと」「決めた」ことはまちがいない。しかし、これを「逢沢さんと」「作る」と言えるのだろうか。だとすると、「と」だろうか。それに、二人は互いに好意を持っている。だとすれば、このAIDは夏目夏子のセックスへの拒絶だけが理由になる。そういう恋愛小説なのか。かつては「借り腹」という残酷な言葉があった。それなら、夏目夏子が逢沢潤に精子を提供されて子どもを生むのではなく、逢沢潤が夏目夏子の腹を借りるのではないのか。「精子提供で生まれた人が連鎖する人工授精をめぐる物語」と読むなら、主人公は夏目夏子ではなく逢沢潤であって、その方が筋が通っている。

 物語をたどり直そう。全体は二部構成。第一部は二〇〇八年夏。夏目夏子と姉の巻子とその娘の緑子の話で構成される。巻子が豊胸手術を受けると言い出すのは、彼女がホステスであることを考えれば、「女の体は男のもの」という、いまや古くさくなったフェミニズムの声が聞こえる。しかし緑子が自分自身の体の成長に強い違和感を持っていることを考えれば、そして夏子がセックスに拒絶反応を持つことを考えれば、「女の体を疎外するのは女自身である」という声が聞こえてくる。性欲から性が脱色され、欲望だけが残る。これが第二部のAIDにつながる。

 第二部は二〇一六年夏から二〇一九年夏。作家になった夏目夏子はAIDに関心を持ち始め、AIDで生まれた男性が本当の父親を捜しているのをテレビで見た。のちにAIDのイベントで偶然会った逢沢潤である。夏子はAIDで子どもを生むことは自分勝手だとも思い悩むが、逢沢潤から、本当の父を知った上で、育ての父に「僕の父はあなたなんだ」と言いたかったと聞かされ、さらに彼の方からAIDに誘われる。

 二人は子どもを作ることだけを欲望している。夏目夏子が出産した最後の段落。「その赤ん坊は、わたしが初めて会う人だった。」。二人の欲望は見知らぬ他人を作ったわけだ。この小説のテーマはAIDだけではない。科学によって作り出された宛先のない欲望が何を生み出すかがテーマだ。なぜ人類だけがこんな欲望を持ったのかと問わなければならない。

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