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【維新150年・完】経済を立て直した「大阪の恩人」

維新150年 大阪取引所前に立つ五代友厚像=26日、大阪市中央区(前川純一郎撮影)
維新150年 大阪取引所前に立つ五代友厚像=26日、大阪市中央区(前川純一郎撮影)
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 大阪メトロ北浜駅と直結の「大阪証券取引所ビル」(大阪市中央区北浜)。エスカレーターで1階に上がると、目の前にステンドグラスが美しい玄関ホールが広がった。壁面の大型ビジョンには、株価や為替などの指標がリアルタイムに映し出されていた。

 外から見ると、円筒形の重厚なフォルムに御影石を張り詰めた白亜の玄関。平成16年に地上24階のビルに生まれ変わったが、旧ビルのレトロな外観を残した。同時に五代友厚の銅像(高さ7・6メートル)も現れた。

 明治維新後の大阪経済再生の立役者とされ、大阪市内には6体の像がある。豊臣秀吉をしのぐ商都・大阪の「顔」なのである。

   × × ×

 長崎で学び、上海やロンドンへの渡航歴がある五代は新政府が発足すると、外交、通商のエキスパートとして手腕を発揮する。大阪赴任直後に起きた堺事件などの外交問題に対処し、大阪港が開港すると、初代の運上所長(税関長)となって公正な貿易事務に目を光らせた。

 大阪商人との関わりは、外国貿易によって国内の商業を発展させるために作られた専門商社「大阪通商会社・為替会社」が最初だった。役人の五代は新ビジネスに戸惑う鴻池や加島屋など有力両替商を説得し、その先見性と指導力で成功させ、信頼を深めていく。

 江戸時代、全国の富の7割を占め、“天下の台所”と呼ばれた大阪だったが、幕末には地盤沈下が始まっていた。明治になり、米市場と蔵屋敷の廃止で最大の収入源を失う。また、廃藩置県で「大名貸し」が大幅に棒引きされたうえ、通貨制度の変更で銀が暴落、両替商がドミノ倒しのように倒産するなど、大阪経済は危機にひんしていた。

 明治2年5月、五代は横浜転勤命令と大阪の経済人らの嘆願運動を機に下野し、実業家に転身する。大阪の衰退を目の当たりにする一方で、大阪商人の財力、潜在能力を知っていたからこそ、大阪から日本の経済を再生させようと考えたのだった。

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