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【話の肖像画】智弁和歌山前監督・高嶋仁(72)(9)苦闘、謹慎、そして巡礼

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甲子園ではベンチでの「仁王立ち」で知られた高嶋仁氏 =平成18年8月、甲子園球場
甲子園ではベンチでの「仁王立ち」で知られた高嶋仁氏 =平成18年8月、甲子園球場

 〈平成12年夏の甲子園は大会最多本塁打などの打撃記録を打ち立てて優勝。14年も準優勝したが、その後は昨春まで甲子園決勝が遠のいた〉

 原因ははっきりしていた。結局、大阪桐蔭などの強豪校が中学の硬式野球の良いピッチャーを獲るんです。これまで声をかけると来てくれていた選手が来なくなった。甲子園は良いピッチャーがいないと上まであがれない。そこで、軟式の選手で体格の良い選手がいれば育てようと切り替えた。育ち始めたのが昨年の選抜。軟式野球出身ばかりでも戦えるようになった。

 (選手の)質は変わっていない。ただ、育ち方が違う。親に怒られたり手を上げられたりして育った子は一人もいない。指導者がその違いを分からないといけなくなった。指導者が変わらないと仕方ないんです。僕は良いときに辞めたと思っている。これからの指導者は本当に大変だ。言葉遣いの一つ一つを考え、言葉の勉強をしなければ絶対にだめだ。「アホ、ボケ」とは言えない時代ですから。その上で「この人についていけば甲子園に行ける」という信頼関係をつくるしかない。技術は、プロ上がりの人に教えてもらうのが手っ取り早い。でも、高校野球はそうじゃない。世の中でまともに生きていける人間をつくる。そうしたところに高校野球の良いところがある。

 〈20年には部員への行き過ぎた指導があり、3カ月の謹慎に。その間、四国八十八カ所霊場などを巡礼した〉

 ちょうど辞めてもよいと思って、辞表を理事長室に持っていった。しかし、部屋に入るなり、当時の理事長に「歩いた方が俺と話すより何かを感じるやろ」と言われ、辞表を出す間もなく歩くことになった。大阪からバスで1番札所(徳島)まで行って、そこから歩き始めた。当初は20キロ程度歩くともう無理。徳島を抜けるまでは死ぬような思いだった。

 そのような中、「巡礼に出ている」と記事に出て、(明徳義塾監督の)馬淵(史郎)さんから電話が入った。「今どこや。高知にいつ入んねん」と言われ、高知に到着すると迎えに来て、食べに連れて行ってくれた。それまで酒を一滴も飲まなかったので、そこで飲んだビールは「こんなにおいしいものなのか」と思いましたね。

 そして愛媛に行くと、馬淵さんが事前に電話した(済美監督の)上甲(じょうこう)(正典)さんが出迎えてくれた。修行で回っている中にもかかわらず、上甲さんに「うちの練習見てくれ」と言われ、練習を見ました。

 香川に行くと、平成7年に観音寺中央で選抜を優勝した橋野純監督。心安い間柄で、迎えにきてくれた。最後、大窪寺(おおくぼじ)(香川)から1番札所に戻るときには、当時の鳴門工監督の高橋(広(ひろし))先生から「先生いつ鳴門に帰ってくるんですか」と連絡がありましたが、「頼むから(和歌山に)帰らせてくれ」と言って帰りました。みなさんが出迎えてくれたからこそ、巡礼を乗り切れたのかなとも思います。ありがたかったですね。(聞き手 尾崎豪一)

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