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【話の肖像画】智弁和歌山前監督・高嶋仁(72)(8)「大人のチーム」で夏初優勝

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第79回全国高校野球選手権で深紅の優勝旗を手にした智弁和歌山の中谷仁主将 =平成9年8月、甲子園球場
第79回全国高校野球選手権で深紅の優勝旗を手にした智弁和歌山の中谷仁主将 =平成9年8月、甲子園球場

 〈夏の甲子園の初優勝は平成9年。主将は智弁和歌山の中谷仁(じん)現監督だった〉

 一概には話しにくいけど、信用できる人間が彼だった。9年のチームは優勝してもおかしくないチーム、「大人のチーム」だった。インタビューなどの受け答えもちゃんとできて、努力もするし、良いチーム。その証拠に高塚(信幸、元近鉄)、喜多(隆志、元ロッテ)、中谷がプロ入りですからね。当時から、藤田照清(てるきよ)理事長と後任監督については「中谷だろう」と話していた。僕の母校・日体大へ行かせて教員免許をとらせ、ノンプロで4、5年やらせる。そこまで話はできあがっていた。ただ彼には家庭の事情もあり、経済的にも厳しい部分があった。本人が「プロに行かしてくれ」と言ったこともあり、プロの道に進んだ。阪神に1位指名で。後に中谷がプロを辞めたと知り、(智弁和歌山に招聘(しょうへい)するため)連絡した。(プロに比べ)給料が安いのが気になったが、「関係ありません。指導者になりたい」と言ってくれた。それならばと、3年前にコーチとして招いた。

 〈9年夏の優勝チームの元々のエースは高塚選手だったが、その前年に2年生で投手人生を絶たれるけがをした〉

 高塚のほかにもピッチャーがいたが、肘を壊して投げられず、高塚が1人で8年の選抜を投げ切って準優勝した。1カ月ぐらいは休ませようとしていたところ、AAAアジア野球選手権大会日本代表に選ばれた。そこで肩がパンク。翌年のチームは高塚が投げられなくなったから、高塚をもう1回、甲子園のマウンドに立たせてやろうという思いで結果に結びつき、頂点まで行った。

 〈投手起用をめぐっては昨年12月、新潟県高野連が故障予防などを目的に球数制限の導入を提起し、議論を呼んでいる〉

 ゆくゆくはそうなるでしょう。ただし、もっと検討しないとだめですよね。「ファウルで粘れ、ヒットなんかいらん」という戦術で、ファウルで粘って一定の球数を超えたら交代。そういうこともできるんですよ。そうなれば何のための球数制限なのかとなる。そうしたことを検討せず、拙速に決めてはいけない。ファウルで粘る戦術が出てきたときにどうするのか。そうなれば、「私学と公立は分けなさい」「2回甲子園をやれ」となる。公立はピッチャーが何人もいないですから、不公平になる。

 〈かつて甲子園で独特の打法でファウルを量産した選手がいた〉

 あの子の場合は完全にカット(打法)ですからね。(審判に)バントと見なされてやらないようになりましたが、バットを振ってない。カットなら、いくらでもできる。こうしたことをされると、ピッチャーは歩かせるしかない。球数制限の弊害もあり得るからこそ、もっと熟慮しないと。投手の肩や肘は消耗品だから考えないといけないことですが、(制限すると)不公平が出る。智弁和歌山は昔から複数投手制で、優勝時に投手が1人ということはあまりないですが。(聞き手 尾崎豪一)

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