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【改元に思う】石原信雄元内閣官房副長官「新元号の漏洩、細心の注意払った」

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インタビューに応じる石原信雄元官房副長官=13日、東京都中央区
インタビューに応じる石原信雄元官房副長官=13日、東京都中央区

 竹下登内閣の官房副長官に就任した昭和62年11月、元官房長官の後藤田正晴さんに皇室制度を勉強するように忠告されたことを覚えています。崩御の1年余り前の昭和天皇の体調をよく知っていた後藤田さんは、地方財政が専門だった私が皇室制度には明るくないことを心配していたのでしょう。

 63年9月19日。昭和天皇が吐血をされ、事態が急変します。私は翌日の会議に備えて首相官邸近くに宿泊していたのですが、夜明けを待たずに官邸に向かいました。昭和天皇は重篤状態となり、私たちも緊張の日々が続きました。

 今回の改元と違い、当時は崩御が前提です。このため、年末に昭和天皇が崩御された場合の検討が必要でした。「平成元年」が数日で終わってしまうからです。新年に改元する『踰年(ゆねん)改元』の案もありましたが、陛下は年内を持ちこたえられ、64年1月7日の早朝に崩御されました。

 報道機関への新元号の漏洩防止にも神経を使いました。新元号のスクープは大変な手柄になるのかもしれませんが、こちらの立場はありません。昭和の改元の際には、別の案が新聞社に漏れる騒ぎもありました。新元号が原因のトラブルはあってはなりません。このため、新元号の選定にあたって意見を求める有識者にはトイレの時にも付き添いと一緒に行ってもらい、情報漏洩に細心の注意を払いました。

 新元号が平成に決まったことをいつ、現在の陛下にお伝えしたのかですか? 陛下は、選定過程にはかかわらないことになっておられましたが、一部には「ご自身の諡(おくりな)となる新元号を陛下が報道で知ることになるのはどうか」という意見がありました。ただ、私はその質問には直接は答えないようにしています。

 平成が間もなく終わります。残念ながら、自然災害が絶えませんでしたが、日本が当事者となった戦争は一度もなく、元号にふさわしい時代だったのではないでしょうか。次も平和で明るい時代をイメージできるような元号が決まることを願っています。

(永原慎吾)

  

 いしはら・のぶお 大正15年生まれ。群馬県出身。東大法学部卒。昭和27年、地方自治庁(現総務省)に入庁。62年に竹下登内閣の内閣官房副長官に就任し、村山富市内閣まで7人の首相に仕えた。現在は一般財団法人地方自治研究機構会長。

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