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【元号の風景】(11)天正(1573~1593年)長崎・大村市 遣欧少年使節 汚された純真

 最後に訪れたのは、「妻子別れの涙石」。住宅街の一画にあり、地面に点々と埋まった丸い石が「涙石」で、この奥で隠れキリシタン131人が処刑された。妻子はこの「涙石」のところまで、処刑される夫らを見送った、とされる。

 帰国した4人の少年たちも、まもなく弾圧に直面した。ミゲルはキリスト教そのものに疑いを抱いて棄教。伝道活動をつづけたマンショは長崎で43歳で病没。マルチノは避難先のマカオで60歳で客死した。

 悲劇的だったのは、ジュリアンであった。過酷な迫害をのがれ、島原や天草、八代など九州各地を転々としながら伝道活動を続けた。ローマには「私は常に夜間、また風雨の間に歩きます。山中の農家に泊まります」という手紙を書きおくった。

 寛永9(1632)年、小倉で潜伏中に捕吏につかまり、「穴吊りの刑」と決まった。作家・三浦哲郎の長編『少年讃歌』には「耳朶(じだ)に充血死を防ぐための傷をつけられ、腰に重しをつけて汚物の悪臭に満ちた深い穴のなかへ逆吊りされてから、(略)まる三日の間、死と闘って、遂に力尽きて絶命した」とある。暗い穴のなかで、ジュリアンは遠のく意識とたたかいながら、列席できなかったヴァティカンでの謁見式の光景を幻視していたのかもしれない。65歳だったとされる。

 --合掌、ではなく、アーメン。(客員論説委員 福嶋敏雄)

                   

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