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【元号の風景】(11)天正(1573~1593年)長崎・大村市 遣欧少年使節 汚された純真

大村湾をのぞむ公園に建つ「天正遣欧少年使節」の像。8年後に帰国してからは苦難の道が待っていた
大村湾をのぞむ公園に建つ「天正遣欧少年使節」の像。8年後に帰国してからは苦難の道が待っていた
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 白いボディをキラめかせた航空機が、紺碧(こんぺき)の空に溶けこむように飛びたっていった。大村湾沖に浮かぶ長崎空港(大村市)は、対岸の森園公園から眺めていると、騒音も聞こえてこないために、おもちゃの航空機が飛んでいるようにも見えた。波もおだやかだった。長い橋をわたって、ときたま大型バスやタクシーがやってきた。

 公園のベンチのわきには、洋装姿の少年4人の像が建っていた。どれも顔がまるく、幼い表情だが、キリッとしたりりしさがただよっていた。「天正遣欧少年使節」と呼ばれた。

 19年間もつづいた「天正」時代の最大のヒーローは、織田信長であった。一向宗をはじめとする仏教を嫌っていた信長は、だがキリスト教には寛容だった。ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスともたびたび会い、安土城(滋賀県近江八幡市)の城下に学問所「セミナリオ」もつくらせた。

 フランシスコ・ザビエルにはじまるキリスト教の布教はこの時代、安土のほか、京や堺などでも、短い間ながら、全盛期を迎えた。少年使節の派遣はヨーロッパの人々に「日本」国の存在をアピールするのがネライで、4人が乗ったポルトガル船は天正10(1582)年2月、長崎港を出港した。

 その4カ月後、「天下布武(ふぶ)」を目指していた信長は、本能寺で自害した。「天下人」が豊臣秀吉、ついで徳川家康にうつるとともに、キリスト教には徐々に不寛容となり、やがて弾圧の対象となった。大旅行中の少年使節はもちろん、そんなことはまったく知らなかった。

 4人は伊東マンショ、原マルチノ、千々石(ちぢわ)ミゲル、中浦ジュリアンで、出発時の年齢は13~14歳だった。ジュリアンをのぞく3人は、日本で最初にキリシタン大名となった大村純忠(すみただ)のほか、大友宗麟(そうりん)や有馬晴信ら九州のキリシタン大名の「名代」とされた。

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