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【話の肖像画】元警視総監・池田克彦(66)(9)規制庁の看板は力強く

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自らが筆を執った原子力規制庁の看板の前で =東京都港区
自らが筆を執った原子力規制庁の看板の前で =東京都港区

 〈平成23年8月、警視総監を退任した。退任会見で最も印象に残った出来事として、東日本大震災の被災地への部隊派遣を挙げた〉

 原発事故への放水部隊だけでなく、福島県に放射線量の測定などを行う部隊を派遣しました。派遣が続く中で中途半端に辞める格好となり、かなり気がかりでした。この問題でできることがあれば、力を尽くしたい、と。

 そんなとき、警察庁長官から原子力規制庁初代長官の話が来ました。原子力規制行政への風当たりは厳しい。「苦労は多く、大変な仕事になる。お断りしようか」と言われましたが、「私としてはやり残した感があるので、受けさせてください」と答えました。

 〈原子力規制委員会と、その事務局機能を果たす原子力規制庁は東京・六本木にオフィスを構え、2つ看板が掲げられている。初代長官として規制庁の看板の筆を執った〉

 先にできた規制委の看板が、あまりにひ弱な字でした。特に一番大事な「力」の文字が。原子力規制行政は過去と決別し、原子力を正しく管理することを力強くアピールする必要があります。職員に自信を持って仕事を進めてもらうため、規制庁の看板は「職員を元気づけるようなのをつけよう」という発想で書きました。

 規制庁は経済産業省や環境省、文部科学省、民間から人が集まります。文化も肌合いも違い、組織運営は苦労すると懸念しました。最初に大変だったのは給料の振り込みです。

 「長官、全員に給料が払われるかどうか分かりません」。給料日直前に、担当者がこう言うんです。出身がいろいろで人事手続きが大変なのが理由だと言います。「それだけは頼む。反乱が起きるぞ」と念を押しました。幸いなことに、職員には誤りなく振り込めました。

 われわれの仕事は、世界で最も進んだ規制基準を作ること、新しい防災指針を作ること、原発の地層調査など多岐にわたりました。私は原子力や地質の専門家ではないので行政、政治との関係を引き受けました。国会答弁は委員長にお願いしましたが、官邸、政治家、自治体などとの交渉は私が行い、何があっても規制委の委員には自由な観点、発想を保持してもらうことに心を砕きました。それが最大の任務でした。

 賛成派、反対派双方から理不尽な批判にさらされて頭にきて、家で「明日、仕事辞めるから」と宣言したこともありました。それでも職員たちと胸襟を開いて酒を飲み、自由討議をしながら仕事を進め、なんとか形を作ることができました。在任中に新規制基準に基づき、九州電力・川内(せんだい)原発(鹿児島県)の再稼働が決まりました。規制委の目的は稼働許可ではなく、原子力の正しい管理ですが、「成果物」ができたことはうれしかったですね。

 27年7月の退官後も規制庁職員、元職員とは「秘密結社」をつくり、酒を飲んでます。人数も増えているんですよ。警察、規制庁と一生懸命やってきたつもりでしたが、振り返れば自分の力はごく小さく、みんなの力で結果を残せてきたのでしょう。(聞き手 高久清史)=次回は智弁和歌山野球部前監督の高嶋仁さん

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