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【お城探偵】千田嘉博 “最強”の山城・岩櫃城 真田昌幸の粘りと誠実さ

岩櫃山の中腹に築かれた岩櫃城。真田昌幸は武田勝頼を迎えようとしたが、かなわなかった (いずれも筆者撮影)
岩櫃山の中腹に築かれた岩櫃城。真田昌幸は武田勝頼を迎えようとしたが、かなわなかった (いずれも筆者撮影)
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 すさまじいのは本丸の周囲で、本丸直下に巨大な堀をめぐらし、堀にかけた木橋を通らなければ出入りできなかった。驚くのはその堀に帯曲輪(おびぐるわ)を経由して降りる秘密の出入り口を備えたことである。戦況に応じて堀を陣地にしたり、堀を通って敵の側面を突いたり、神出鬼没の戦いを仕掛けるための設計だった。

 昌幸は岩櫃城に勝頼を迎えようとして果たせなかった。しかし、こうした城の構えから、昌幸が勝頼を守って戦おうとしたのは間違いないと思う。のちに秀吉は昌幸を「表裏比興(ひょうりひきょう)」と評したが、岩櫃城は真田昌幸という武将の誠実さと、恐ろしいほどの粘り強さに触れる城である。(城郭考古学者)

 ≪岩櫃城≫

 群馬県東吾妻町の北東にそびえる岩櫃山の中腹に築かれた山城。築城時期は定かではないが、南北朝時代に築かれたという説がある。1563(永禄6)年、武田信玄の家臣で真田昌幸の父、幸隆が攻略した。江戸時代に入ると、一国一城令により長い歴史に幕を閉じた。

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