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「大陸と交流 遺伝的に多様」 鳥取の遺跡、弥生人骨解析結果

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核DNAが解析された青谷上寺地遺跡出土の人骨=平成30年11月17日、鳥取市の青谷上寺地遺跡展示館(坂下芳樹撮影)
核DNAが解析された青谷上寺地遺跡出土の人骨=平成30年11月17日、鳥取市の青谷上寺地遺跡展示館(坂下芳樹撮影)

 日本人の成り立ちを探るため、鳥取市の青谷上寺地(かみじち)遺跡から出土した弥生時代の人骨のDNAを解析している研究プロジェクトの成果報告が鳥取市であり、父系遺伝のDNAについては縄文系が多いとの結果が出た。

 プロジェクトは国立科学博物館(東京)、鳥取県埋蔵文化財センター(鳥取市)などが共同で進めている。篠田謙一・同博物館副館長が、シンポジウム「倭人の真実」の中で成果を報告した。

 同遺跡から出土した弥生時代後期(2世紀)の頭蓋骨と歯の計6点から試料を取り、細胞の核のDNAを分析。男性の骨5点中4点から、父系遺伝のY染色体の塩基配列データを得た。ハプログループ(配列が似た遺伝的に近いグループ)の分類では、3点が縄文系のハプログループだった。

 日本人の成り立ちでは、弥生時代に大陸の渡来人と在来の縄文人との混血が北部九州から東へと進んだ、とする「二重構造説」が定説になっている。

 母系遺伝のミトコンドリアDNAを解析した昨年11月の中間報告では、全32個体を調べたうち、大部分が渡来系のハプログループ、1個体だけが縄文系で、渡来系が主体だった。ハプログループは29系統とばらばらで、血縁関係のない都市の住人のような状況を示していた。

 今回、Y染色体の解析では縄文系が多かったと分かり、篠田副館長は「青谷の人骨は遺伝的に多様性がある。渡来人が北部九州から入り、在来集団と混血して本州の日本人ができたとする従来の単純なモデルが当てはまらない。青谷は都市的性格を持ち、大陸と交流した。その交流から日本人が生まれたというのが真実に近いのではないか」と話した。

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