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【職人のこころ】人もクマも自然の一部

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井戸理恵子さん
井戸理恵子さん

 亡くなった人が夢に出てきた。夢の中で「頼みたいことがある」と言う。真剣なまなざしでそう言い放つと、彼は自身の仕事場からなにやらゴソゴソと古い黄色い冊子を持ってきた。そして、その冊子を差出し、「本当のアイヌの、本当のことを伝えてくれ」と切実に訴える。藤戸竹喜さんの眼力は深く鋭く心に突き刺さる。夢の中で頼まれたことも深く心に突き刺さった。

 この夢をみた数日後にNHKのBS放送で「ヒグマを叱る男~世界遺産 知床」という番組が流れた。再放送らしい。私が生まれ育った道東の、父とよく通った知床の映像が目前に広がる。もはやテレビの映像ではなく、その中に自分がいた。

 知床のひんやりした空気や頬にしびれるような風を感じる。厳しい自然ほどすがすがしい。厳しい人との対話ほどすがすがしいように。ヒグマが歩いている。番組のタイトル「ヒグマを叱る男」らしき人がユネスコに対して訴えている。知床が世界遺産に指定された時と、話が違う、と憤っている。夢の中の藤戸さんと重なった。表情が重なったのだ。

 一瞬デジャヴかと思ったほどだ。自然を知りすぎるほど知る漁師がユネスコに話が違うじゃないかと訴えている。「ああ、この人の方が正しい」と本能がそう言っている。自然は地域によって変わる。その土地の物理現象がすべて解明できているわけはない。彼はその土地に生きてきた人からの言い伝えや自分の経験からくる動物的勘のようなものを統合している。それに勝るものはない。もしかしたら、アイヌの知見もそこにはあるだろう。

 藤戸さんは人もクマも狼もみなひっくるめて自然だと言っていた。現代科学は確かに必要だが時折、自然に対して、非情になる。自然の上に立とうとする。ヒグマを叱る男も同じことを言う。人も自然の一部だ、と。なにも特別なものではない。一言一言が腑に落ちる。漁師が少なくなった。伝統的な漁で魚を獲る昔ながらの漁師がいなくなった。魚もいなくなった。人が必要以上に獲るからだ。

 番組の中で加藤登紀子さんの知床旅情が流れる。まさに知床の漁師のことを歌ったような歌だ。ヒグマを叱る男が生活を共にしてきた仲間を失う。病に侵されて、番屋で住み続けることができなくなったので実家のある青森に帰ることになった。番屋はかつて多くの男たちであふれていた。自然とともに生き、自然に愛されていたからこそ、あった笑い顔が消えていく。薪をくべる。真っ赤なストーブにグラグラ湯が沸く。一人一人と漁師は消えていく。昔の日本人が消えていく。職人が消えていく。自然が自然ではなくなると共に生きる場所を失うのだ。

 知床でシャチの研究に来たという外国人がいた。シャチがダンスをしている。これほどまで大軍のシャチがいる知床は研究の対象として楽しみだという。アイヌは知っていた。だから、彼らをレプンカムイと呼ぶ。沖にいる神だ。彼らがいるところまでが食料が豊富だという印なのだ。だから、レプンカムイと呼ぶ。日本の漁師も漁で生活ができなくなった。

 漁師という職人が消えていく。明治の頃に。明治という時代が日本人から「自然」を奪った。

 それは狩猟の方法、漁労の方法を変えざるを得なくなったことから始まっている。自然とともに生き、自然からさまざまな生産物を得る人々がその得る方法を変えた時から、自然は自然ではなくなった。

 藤戸さんが夢でわたしにくれた冊子はアイヌの古い野菜が描かれたものだった。この番組を通して、知床の映像を通して、「本当のアイヌ」とは本当の人間の姿のことを言っていたように思う。

 事実、アイヌ語で「アイヌ」とは人間のことをいう。つまり、わたしたち日本人も含めて、昔の「アイヌ」のことを伝えてくれと言っているようだった。

 自然とともに生きていた人々。そうした温かい人がたくさんのぬくもりに囲まれて笑っている。自然は彼らに答えるように日々の糧をもたらしてくれる。そうした時代があったのだと。きっと失われていくものの大切さを知るのは本当に失った時なのかもしれない。しかし、完全に消えてしまう前に、消えようとしている火に少しでも空気を与え、力を与えてくれ、と言っているのかもしれない。


<プロフィール>

 井戸理恵子(いど・りえこ) 民俗情報工学研究家。1964年北海道北見市生まれ。國學院大学卒。多摩美術大学非常勤講師。ニッポン放送「魔法のラジオ」企画・監修。ゆきすきのくに代表として各種日本文化に関わるイベント開催。オーガニックカフェ「ゆきすきのくに」にて自然食を提供。二十数年来親交のある職人たちと古い技術を訪ねて歩く《職人出逢い旅》など15年以上に渡って実施中。気心しれた仲間との旅をみな楽しみにしてくれている。主な著書に「暦・しきたり・アエノコト 日本人が大切にしたいうつくしい暮らし」「こころもからだも整うしきたり十二か月」(ともに、かんき出版刊)、「日本人なら知っておきたい!カミサマを味方につける本」(PHP研究所)などがある

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