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【新・仕事の周辺】錦見映理子(歌人、作家) 書かずにいられなかった小説

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(小野啓撮影)
(小野啓撮影)

 ずっと短歌を書いてきたのに、5年ほど前に突然、小説を書きたくなった。試しに書いてみたら楽しくて止まらなくなり、一気に300枚近く書いてしまった。それ以来、小説の中毒になったかのように、書かずにいられなくなった。

 書いているときは夢中だったが、ふとわれに返るとすごく不安な気持ちになった。一体これを誰が、いつ読んでくれるのだろう。当ては全くなかった。新人賞に応募しても、選んでもらえなければ、誰にも読まれることなく闇に葬るしかない。

 こんなことをしていていいのだろうか。それよりも、短歌にもっと力を注ぐべきなのではないか。短歌は長くやってきたから頼まれて作品が掲載される機会もあったし、短歌にまつわるエッセーの連載もしていた。

 今こそ第2歌集を出して、歌人として頑張るべきときなのに、なぜ私は必死に、誰にも読まれる可能性のない小説なんか書いているんだろう。

 歌人であることは知られていても、小説を書いていることは、まだ誰にも知られていなかった。このまま書き続けても、一生誰にも読まれることはないかもしれない。孤立無援だった。

 でも、どうしてもやめられなかった。小説を書いているときだけは、生きている実感が強くあったから。

 有名な作家だって、きっとこんな不安の中で書いていた時期があったかもしれない。エミリ・ブロンテのように、生前には認められなかった作家だってたくさんいる。今書いているものの価値も運命もわからないけれど、書くしか道はないんだ。

 そうした葛藤の末に書き上げた小説の一つが、昨年、太宰治賞に選ばれた。

 『リトルガールズ』というその小説は、ある中学校を舞台にした群像劇だ。55歳で急にピンクの服ばかり着るようになった、女性家庭科教師が中心となっている。彼女をモデルに絵を描こうとする若い男性美術教師が出てくるのだが、彼は教師であることよりも画家として作品を描くことに命をかけていて、それ以外のことに全く関心がない人物だ。ある意味では危険で、一般的には理解されにくい彼の考え方に、中学生やその親を含めた登場人物たちは刺激され、自分の本当の望みは何なのかを知ろうと突き動かされてゆく。

 書いている間に、美術の世界と、短歌の世界とが、少し重なってみえてきた。

 画家や彫刻家の卵たちを書きながら強い共感を覚えたし、美術部の生徒を書きながら、短歌に出合った頃の気持ちを思いだした。

 画家になることが困難であるように、歌人として認められることもとても難しい。自分が25年間厳しい短歌の世界に身を置き、師や先輩たちの仕事に触れ、修行のように書き続けてきた経験が、小説の中に生かされた。

 書き終えたとき、私は孤立無援ではなかったことに初めて気づいた。短歌を書いてきたこれまでの自分という味方が、一人だけいたのだ。

【プロフィル】錦見映理子

 にしきみ・えりこ 昭和43年、東京都生まれ。短歌結社「未来」所属。現代歌人協会会員。歌集『ガーデニア・ガーデン』、著書に『めくるめく短歌たち』。平成25年10月から29年3月まで「NHK短歌」テキストに「えりこ日記」連載。30年『リトルガールズ』で第34回太宰治賞受賞。

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