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園児を守れ 疎開保育に学ぶ 東京大空襲74年

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疎開保育を体験した佐瀬玲子さん(右)と妹の長尾満栄さん=東京都江東区(大渡美咲撮影)
疎開保育を体験した佐瀬玲子さん(右)と妹の長尾満栄さん=東京都江東区(大渡美咲撮影)

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 10万人以上が犠牲になったとされる昭和20年の東京大空襲から、10日で74年となる。激化する空襲から幼児らを守ろうと、保母らが保育園児を集団疎開させる「疎開保育」が行われたことは、あまり知られていない。相次ぐ地震で災害時の集団保育のあり方が課題として浮上するなか、今年に入って疎開保育の実話を元にした映画が公開されるなど、改めて注目が集まっている。(大渡美咲)

 疎開保育は、本土への空襲が本格化した昭和19年11月に始まった。「戸越保育所」(東京都品川区)の保母だった畑谷光代さんらの発案で、同保育所と「愛育隣保館」(墨田区)の園児計約50人が保母とともに、埼玉県平野村(現・蓮田市)にある無人の寺院「妙楽寺」に疎開した。

 戦況悪化を受け、現在の小学校に相当する国民学校初等科の3年生以上を疎開させる「学童疎開」や親族を頼る「縁故疎開」はすでに行われていたが、園児の集団疎開は初めてだった。

 20代の保母約10人が24時間態勢で保育に当たり、掃除や炊飯なども担った。寂しさやストレスで子供たちが頻繁におねしょをしたため、園児を5~6人の班に分けて保母が母親代わりになる「母親制度」を採用。東京大空襲後の20年5月には国の方針もあり、さらに園児の疎開が進んだ。

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