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【本郷和人の日本史ナナメ読み】中世の男女観(上)恋愛におおらかだった日本人

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徳川家斉像(模本、東大史料編纂所蔵)
徳川家斉像(模本、東大史料編纂所蔵)

 タレントのベッキーさん結婚のニュース報道に接し、かつての不倫騒動を今さらながら思い出しました。あの頃は文春砲の全盛期で、彼女はすごい勢いでたたかれてましたね。ぼくはあまりテレビを見ないから彼女のことを知らなかったので、特別な感慨はなかったのですが、日本人の感性も随分変わったもんだなー、と思っていました。

 というのは、日本は恋愛に対して、歴史的にはきわめておおらかな国だったからです。日本文化の粋は恋である、とおっしゃったのはたしか丸谷才一さんと記憶しています。日本文化の中心には古代の昔から和歌があり、良い和歌を詠めることが文化人たる大前提でした。その和歌の中心テーマが「恋」。平安の貴族たちは、おいもう少し民のことも考えろよ、と言いたくなるほどに政治のことなどそっちのけ。風雅の世界に生き、音楽を奏で、和歌を詠む技を磨き、女性とのロマンスを楽しんでいました。

 中世に入っても「色好み」は忌避すべき価値観ではなかった。軍事力が尊重される武家の社会でも、北条政子の例でも分かるように女性は大切にされ、政治的な発言力を持った人も少なからずいたのです。女性城主だって、もちろんいた。まあ例の井伊直虎さんは男性だった可能性が高いのですが、文書がしっかり残っているところでは筑前・立花山城城主の立花●(=門がまえに言)千代(ぎんちよ)さん(後の筑後・柳川城主の立花宗茂夫人)。豊臣秀吉夫人の北政所は、実質的な長浜城主として夫を支えましたし、関ケ原以降の大坂城の城主は、誰が見ても「おふくろさま」=淀殿だったわけです。

 中世の貴族社会ではもちろん、恋が高い価値をもっていました。鎌倉時代は和歌が盛んだったから当然のことですが、和歌が力を失いだした室町時代にしても『源氏物語』が高い評価を受けていたのですから、やっぱり恋は偉大だった。わりと知られていないことですが、『源氏物語』が女官のみならず貴族みなの必読の書となったのは、室町時代のことなのです。また、忘れてはならないのは、恋が大切だったということは、それだけ女性が大事にされていた、ということです。「女三界(さんがい)に家なし」なんてひどいことが言われるようになるのは、儒教が盛んになった江戸時代になってからです。

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