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【倒れざる者~近畿大学創設者 世耕弘一伝・第2部】(16)経済企画庁長官時代の「先見の明」…異彩放った型破り答弁

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経済企画庁長官として国会で経済演説を行う世耕弘一氏(近畿大学所蔵)
経済企画庁長官として国会で経済演説を行う世耕弘一氏(近畿大学所蔵)

 世耕弘一は昭和34年1月12日、岸信介内閣の経済企画庁長官に任命された。

 戦後、弘一は鳩山一郎の政権誕生に政治生命を捧げた。おいで秘書だった世耕忠によると、鳩山が21年5月に公職追放になるとGHQ(連合国軍総司令部)に処分解除の要請を始め、それは芦田均内閣や吉田茂内閣からの再三の入閣要請を断り26年8月に鳩山の追放解除の日まで続いたという。ただ、その鳩山内閣が29年12月に成立したが、弘一の入閣はなかった。忠は弘一についてこう表現した。

 「天下国家のことについては、大変強い政治家であったが、自分自身のことに関しては、お人好しで、テレヤでまた気の弱い人であった」

 そんな弘一の最初で最後の入閣は法案審議への対応の不満から反主流派の3閣僚が辞表を提出し、うち1人の後任としてだ。弘一には予想外だったとみられ、大阪から上京する途中の汽車で入閣の知らせを聞き、東京に着くなり認証式という慌ただしさだった。

 弘一は経済企画庁長官として「先見の明」をもった仕事をしている。

 「日本の経済政策の企画を担当する官庁として、まず全世界の経済情報をいち早くキャッチし、それを関係の向きに流すことが、大きな役目である。この日本経済のアンテナの役割を果たすために、必要とあらば屋上に電波塔を建てるとか、独自の通信網を整えるということをやりたい」

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