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小田原にかつて旧皇族の別邸 閑院宮家 大正期の大火でも無事

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三の丸外郭新堀土塁から望む閑院宮別邸跡地(遠くに小田原城が見える)
三の丸外郭新堀土塁から望む閑院宮別邸跡地(遠くに小田原城が見える)

 神奈川県箱根町にかつて、旧皇族で江戸期には四親王家(ししんのうけ)の一つに数えられた閑院宮(かんいんのみや)家の別邸があったことは以前、紙面上で紹介したが、実は同県小田原市にもかつて、閑院宮家の別邸があった。これも以前に紙面上で紹介したように、小田原にはかつて小田原御用邸もあり、小田原は皇室とは縁があるようだ。

 小田原市のホームページなどによると、閑院宮別邸は平成16年に小田原高校と統合された旧小田原城内高校から、旧MRAアジアセンター(小田原城跡三の丸外郭新堀土塁)までの広大な尾根伝いの一帯が敷地だったという。

 ■旧小田原中に学ぶ

 閑院宮載仁(ことひと)親王は、明治39年(1906)に小田原に別邸を設けて、晩年はほとんど小田原に住んだと伝えられる。載仁親王の第2王子で後に宮家を継承する春仁王も小田原に住み、旧小田原中学(現小田原高校)で学んでいる。

 載仁親王は昭和6~15年、陸軍の参謀総長を務め、先の大戦の終戦直前の20年5月に死去した。一方、春仁王は陸軍少将として終戦を迎えている。

 大正8(1919)年5月12日付の報知新聞には〈小田原大火 五百戸を烏有(うゆう)に帰して午前零時十分鎮火す〉との見出しの記事中に、〈十日夜十時十分相州小田原町万町淡路指物店裏と八百勝漬物店物置の間より発火し(中略)小田原御用邸閑院宮御別邸は風上とて全く御安全なりき負傷者原因損害等目下取調中なるが町役場にては第三小学校に救護所を急設し罹災(りさい)民を収容せり〉とする記述がある。

 小田原城の二の丸御殿跡に明治34年に創設され、現在の「二の丸広場」に当たる場所に当時あった小田原御用邸と、閑院宮別邸が「小田原大火」と呼ばれる大火災に際して、風上にあったために被害が出なかったことを伝える内容となっている。

 ■昭和天皇実録に

 昭和天皇の87年を超える生涯を宮内庁が編纂(へんさん)した唯一の公式記録集である「昭和天皇実録」には、載仁親王と春仁王に関する記述が、それぞれ残る。

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