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【維新150年】最先端技術の総合プラント「造幣局」

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維新最大の公共事業、造幣局はなぜ大阪に作ったのか。造幣局=大阪市北区(前川純一郎撮影)
維新最大の公共事業、造幣局はなぜ大阪に作ったのか。造幣局=大阪市北区(前川純一郎撮影)

 JR京橋駅で降り、国道1号に出て大川をめざして歩く。銀色に輝くアーチ橋の桜宮橋、通称“銀橋”を渡った。左手に広大な「造幣局」(大阪市北区天満)の敷地が見えてきた。道路をはさんで北側に「泉布観(せんぷかん)」。白い漆喰(しっくい)を塗りこめたコロニアル様式の洋館で、隣接する「旧桜宮公会堂」とともに、初期の近代建築として国の重要文化財に指定されている。

 いずれも古くは造幣局の構内にあった建物。泉布観の泉布は「貨幣」、観は「館」を意味する明治時代の迎賓館で、旧公会堂は造幣局の初代玄関を移築した明治天皇記念館だった。さらに北に臨む大阪アメニティパーク(OAP)とその中のホテルも、かつては造幣局の敷地だった-といえば、往時のスケールが伝わるだろうか。

   × × ×

 慶応4(1868)年5月、明治政府は、混乱していた貨幣制度を整理し全国で使える統一貨幣を鋳造することを決めた。悪貨を廃して近代国家として外国の信用を築くと同時に、良質の金が安価で海外に流出するのを防ぐためだ。

 鋳造工場の建設予定地は大阪・天満の旧川崎村。大川の湾曲部の右岸で、旧幕府の御破損奉行(大阪城の修理、維持管理を担う役人)の役宅と資材置き場、米蔵、それに津藩などの蔵屋敷跡が接収された。約17万8000平方メートルの敷地は現在の2倍以上あり、当時は世界最大規模の貨幣工場だったという。

 大阪に決まった理由は、水運が発達し、広大な土地があったこと。さらに、維新の事業に貢献した大阪財界への配慮や「大阪遷都論」の影響-も指摘されるが、「正式な記録がないので、詳細は不明」(造幣局)というのが面白い。

 貨幣をつくる機械一式を閉鎖中の香港造幣局から6万両で購入。明治元(1868)年11月に着工し、4年4月に完成した。総工費約96万両は政府予算の約30%にあたり、まさに新政府の威信をかけた最初の国家プロジェクトだった。

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