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【倒れざる者~近畿大学創設者 世耕弘一伝・第2部】(14)戦後いち早く政界復帰…内務政務次官として隠退蔵物資の摘発に全力

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戦後、衆議院総選挙に当選し支持者らと記念撮影する世耕弘一氏(中央)=昭和22年、和歌山県新宮市
戦後、衆議院総選挙に当選し支持者らと記念撮影する世耕弘一氏(中央)=昭和22年、和歌山県新宮市

 昭和20年8月15日、第二次世界大戦は終結した。

 戦時中に翼賛選挙で当選した推薦候補はもちろん、場合によっては非推薦候補も公職追放となるなか、露骨な選挙妨害で落選した世耕弘一は翌21年4月の衆議院総選挙で日本自由党公認として当選し、いち早く政界に復帰した。

 直後の5月、日本自由党と第二党の日本進歩党との連立で吉田茂内閣が誕生。弘一は、この内閣で6月に内務政務次官に就任した。このポストで取り組んだのが、本土決戦に備えた旧陸海軍の備蓄品が不正に隠匿されるなどした隠退蔵物資の摘発だ。敗戦後の混乱で、日本の食糧不足は戦時中よりひどくなり、配給物資は正規ルートから姿を消して闇市場が横行、物価が暴騰を続けていた。翌22年3月には国内の物資が枯渇し経済が破綻するとする「三月危機」説がまことしやかに流布していた。

 国民を飢餓の危機から救おうとした弘一は、旧陸海軍の物資が不当に流出していることに注目。後に隠退蔵物資の問題について書いた「私の心境」と題したパンフレットで「この根本に摘發(てきはつ)のメスを入れることは日本再建途上に於(おい)て絶對(ぜったい)に避(さ)くべからざる重要手術であると確信するに至つた」と書いている。

 「私の心境」ではその摘発を思い立った理由の一つとして「金銀ダイヤモンド等の貴金属を摘發して、それを基にして金貨引換の紙幣を發行(はっこう)したかつたこと。……これには勿論聯合(もちろんれんごう)軍の同意を得ねばならないが、日本の悪性インフレの阻止にはまづこの方法の許可を懇請して、金の裏付けある新貨發行による他なしと考えたのだ」と振り返った。

 弘一がドイツ留学で新紙幣のレンテンマルクの発行がハイパーインフレの克服につながったことを目の当たりにした経験が影響していることがわかる。

 弘一は、大蔵大臣だった石橋湛山(たんざん)に国民の食糧危機を救い、悪性インフレを防ぐため隠退蔵物資の摘発を献策した。石橋は22年7月29日の読売新聞に掲載されたインタビュー記事で「僕のところに世耕君が三月危機突破のカギだといつて隠退蔵物資の話をもちこんできた」と語っている。

 石橋は、弘一の意見を受け物資の生産、配給、消費などを総合的につかさどる経済安定本部に22年2月に隠退蔵物資等処理委員会を置くことを閣議に提議。自らは委員長に就き、弘一を全権委任の副委員長に任命した。

 石橋はインタビューでこう続けている。

 「僕は世耕君の熱意を買つていたし世耕君に活躍してもらうために委員会制度で発足したのだ。僕は委員長ではあるが実際の仕事は委員の人選その他世耕君に任せて彼の活躍を期したわけだ」(松岡達郎)=敬称略

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