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【書評】小説家・秋山香乃が読む『跳ぶ男』(青山文平著) 巨大な存在に身一つで挑む

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『跳ぶ男』青山文平著
『跳ぶ男』青山文平著

 これほど無駄を削(そ)ぎ落とした小説はめったにない。全てのセンテンスには深い意味が込められ、どこにも隙が見当たらない。二度、三度と読み返せばその度に、見えてくる世界が鮮やかに深まるだろう。本書はそういった上質な小説だ。作り上げるのは大変な作業だったに違いない。

 時代は江戸も終わりに差し掛かった辺り。土地が少なく「まっとうな墓を持てない国」、貧しい藤戸藩に生まれた道具役(藩お抱えの能役者)の長男、屋島剛は、継母に冷遇され、6歳で家に居場所を失った。その日から、剛の居場所は、母の死体を海に流した野宮と呼ばれる野墓だけ。父に稽古を付けてもらえなくなった剛は、同じ道具役の息子、岩船保の稽古場を覗(のぞ)くことで、舞を覚える。稽古場は野宮にある石舞台だ。

 保は剛にとって、友であり、師であり、「万能の靄を醸す者」であり、「上(たてまつ)る」存在であった。ところが、保は能ではなく御城勤めを採る。「ちゃんとした墓参りができる国」を創るため出世の道を駆け上がるが、志半ばで剛に3つの言葉を残し、切腹して果てた。残された15歳の剛は、保の残した言葉のせいで、16歳で急逝した藩主の身代わりにさせられる。

 保の残した信じがたい3つの言葉は、どこに繋(つな)がっていくのか。なぜ保は「己の玉が能であることを伏せて御城勤めを採ったのか」。己の抱き続ける恐れの本源とはなんなのか。

 認めがたい事実と認めねば見えてこぬもののはざまで、能の本番を舞うたびに、シテとして負けの生を舞うたびに、剛は真実へ近づいていく。

 疑念のすべてが解き明かされたとき、剛は「想いも寄らぬことをやる」決断をする。「十五歳の身代わり」は、はるか遠くの巨大な存在に身一つで跳んでみせ、闘いを挑む。その姿に、剛の犯した罪と保の胸奥を思い、哀(かな)しみが胸に広がり泣かずにはいられない。そして、読者はなるほどこのラストでなければならないのだとうなずかされる。

 研ぎ澄まされた上作に感嘆し、読み終えた後もしばらく言葉がみつからない。(文芸春秋・1600円+税)

 評・秋山香乃(小説家)

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