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【三千家「初」釜記】(5)次代を担う茶の湯の粋

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初釜で招待客をもてなす表千家の千宗左家元(右)=京都市上京区
初釜で招待客をもてなす表千家の千宗左家元(右)=京都市上京区

 日が暮れてからの一席だったからなのか、同じ初釜でも、こうも雰囲気が変わるのかと驚いたのが、1月10日の表千家不審庵(ふしんあん)での初釜だった。

 由緒ある残月亭と奥の九畳敷に持ち込まれた3本のろうそくのゆらめきに浮かぶのは、表千家秘蔵の「少庵召出状(しょうあんめしだしじょう)」。

 千利休の自刃後、離散していた千家を許すという豊臣秀吉の意向を受け、徳川家康と蒲生氏郷が、利休の養子、少庵に京都に戻るよう連名で宛てた書状で、千家再興の契機となった歴史的な文書だ。正確にはわかっていないが、文禄3(1594)年ごろ書かれたと推定されている。

 ほのかな灯火に照らされただけの荘厳な茶室で、十五代を襲名して初めての初釜となる千宗左(そうさ)家元(48)は、新年のあいさつをすませると、すべてのグループに黙々と自ら濃茶(こいちゃ)を練っていく。誤解を恐れずにいうなら、その姿は戦友を一期一会の茶でもてなす武人のようだ。

 言葉は多くはなかったが、代々伝えられてきた道具を数多く使い、丁寧に丁寧に進められる茶事からは、千家の大黒柱として、代が替わっても変えないものは決して変えないという強い信念と、もてなしの美学を感じた。

 濃茶の後のお膳では、お神酒(みき)とともに雑煮やすしなどが続々と供された。その全ての給仕を男性が受け持つのも、表千家ならではの習わしのようだ。

 客としては、濃茶席では濃茶碗の下に敷く「出し袱紗(ふくさ)」も用意しておいた方がよさそうだ。

□    □

 武者小路千家が1月12日、官休庵(かんきゅうあん)で行った初釜は、千宗屋(そうおく)家元後嗣(43)の結婚式を6月に控え、祝賀ムードであふれていた。千宗守(そうしゅ)家元(73)のお点前にあわせ、絶妙な間合いで、宗屋氏がわかりやすく茶道具を読み解いていく。

 恥ずかしながら、宗屋氏が美術史や現代アートにも造詣が深く、「千利休の再来」とメディアで取り上げられたこともある気鋭の若手茶人だと知ったのは、初釜の後だった。

 その筆力もただ者ではないことは、著書を読めばわかる。茶の湯をたしなむ人を人生のパートナーとするかどうかについて『茶 利休と今をつなぐ』(新潮新書)では自らこう書いている。

 『元々男性の、それも武士の嗜(たしな)みごとであり、道具集めに身をやつして身代を持ち崩した方、天下人の勘気に触れて命を落とした方で、茶の湯の歴史は死屍累々(ししるいるい)です。ある意味危険な、だからこそ魅力的なものでもありますから、その茶の湯を嗜む方とご一緒になられるかどうかは、くれぐれもよく考えてご決断を』

 もてただろうなこれは。

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