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【倒れざる者~近畿大学創設者 世耕弘一伝・第2部】(3)妻の虫の知らせ…1日早い出発で関東大震災の被災免れ…

世耕弘一氏が乗船した伏見丸のイラスト(左)=日本郵船株式會社創立三十年記念帳所収(近畿大学中央図書館所蔵)
世耕弘一氏が乗船した伏見丸のイラスト(左)=日本郵船株式會社創立三十年記念帳所収(近畿大学中央図書館所蔵)

 世耕弘一は母校の日本大学からドイツに派遣される留学生に選抜された大正12年4月末以降、海外渡航の準備を進めた。弘一の生涯を研究する近畿大学名誉教授の荒木康彦が外務省外交史料館で発見した「海外旅券下付表」の東京府の同年7~9月の部分に弘一の項目がある。旅行目的は「學術(がくじゅつ)研究」で、交付日は8月3日。香港、シンガポール、マラッカ(マレーシア)、ブナン(同)、コロンボ(スリランカ)、スエズ(エジプト)、フランス、スイス、ドイツなどを旅行地としている。

 弘一は9月2日、神戸港を出港し、ロンドンに向かう「伏見丸」(1万930トン)に乗船、フランスのマルセイユで降りる予定だった。東京-大阪間は12時間以上かかっていた時代でもあり、前日の9月1日朝に出発することにしていたが、前倒しして8月31日の夜行で大阪に向かっている。

 経緯について、三男の弘昭(後に近畿大学理事長)が母、紀久子から聞いた話によると、紀久子が虫の知らせで1日早い夜行列車に乗ることを強く勧めたという。その年の1月に長男の政隆(後に近大総長・理事長、参議院議員)を出産したばかりの紀久子は新聞社に採用されたばかりの弘一の留学に恨み言も言わず、「千載一遇の機会なので」と送り出している。

 「お前は薄情な女だ」

 弘一はこう笑って妻の言葉に従った。8月31日の夜行で大阪へと向かったが、これが運命的な決断だったことがすぐ後にわかる。

 弘一が後に書いた「ドイツ留学の憶(おも)い出」によると、大阪に到着して昼食をしているとグラグラと大きく揺れ出したのだ。

 〈大正12年9月1日午前11時58分ごろ、相模湾を震源地とする大地震が発生した。死者約10万5千人という未曽有の被害をもたらした関東大震災。地震の大きさはM7・9と推定されている〉

 もし予定通り、前日の1日朝の便で発っていたとしたら、弘一の汽車は脱線転覆し、留学どころではなかっただろう。

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