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「並外れた情熱と行動力」堺屋太一さん死去、各界から惜しむ声

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産経新聞の連載「風と炎と」の取材でベルリンを訪れた堺屋太一さん=平成3年
産経新聞の連載「風と炎と」の取材でベルリンを訪れた堺屋太一さん=平成3年

 8日に83歳で亡くなった堺屋太一さん。幅広い分野でマルチな才能を発揮した“時代の仕掛け人”の死を惜しむ声は、各界から相次いだ。

 「いつ寝ているのかと思うぐらい、人並み外れた情熱と行動力で駆け抜けた人だった」。堺屋さんの自宅を設計するなど40年来の親交があった建築家、安藤忠雄さんは、こう振り返った。

 堺屋さんは、昭和45年の大阪万博の企画・立案に携わったことでも知られる。「『失敗するぐらい大きな発想力で新しい世界を目指そう』というのが信念。敵も多かったろうが、困難もすべてエネルギーに変えてきた」(安藤さん)。2025年に開催が決まった2度目の大阪万博についても、「なんとしても見届ける」と語っていたという。

 安藤さんは、「心残りだったろう。彼の無限大の発想力は、これからの日本にこそ必要だった。今度の万博を成功させることで、その魂を引き継ぐべきだ」と力を込めた。

 昭和45年の大阪万博でコンパニオンの制服を手がけたデザイナー、コシノジュンコさんも、「素晴らしい日本の才能を一つ失い、悲しい限り」としのんだ。

 短い丈のワンピースや地下足袋風のブーツなど、コシノさんの斬新なデザインが物議をかもすと、堺屋さんは周囲との調整に奔走したという。

 「官僚といえばお堅いイメージだが、常に私の良き理解者として振る舞ってくださった。作家に転身し存在感を増し、万博の基本形を作った。経験者として、助言を与えたり、著作を残したり、まだまだ活躍の場はあったはずと思う」と話した。

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