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【書評】ノンフィクション作家・河合香織が読む『ピアノ・レッスン』アリス・マンロー著、小竹由美子訳

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『ピアノ・レッスン』アリス・マンロー著、小竹由美子訳
『ピアノ・レッスン』アリス・マンロー著、小竹由美子訳

 ■生きることの陰影描き切る

 処女作を読むのが好きだ。まだ作家と言い切るには自ら躊躇(ちゅうちょ)するような時期に、注文も締め切りもなくとも、どうしても書かざるを得なかった野蛮な熱情が詰め込まれているように感じるからだ。その物語を書くために作家になったとも言える。本書もそのような種類の作品で、ノーベル賞作家であり、「短編の女王」と呼ばれるアリス・マンローの処女短編集である。

 半世紀以上前に書かれた15の短編は、これまでの生活で積み重ねられてきた汚れた匂いがするみじめな家で起きた出来事で終始し、大きな事件は起きない。そして全編を通じて、作家の生活の影がつきまとう。マンローが実母の死の直後に書いたという「ユトレヒト講和条約」。心の病気のために悪評が立っていた母親から主人公は逃げ出したが、姉は10年にわたり寝ずの番をしてきた。久々に帰った家に感じたよそよそしさが、自分が学生時代に書いたルーズリーフの文字を見たときに解かれていく。「仕事場」は、マンロー自身が初めて借りた仕事部屋で起きた出来事をモチーフにした作品で、家主の男に贈り物という干渉をされ続ける様が描かれる。

 逃げたつもりでも、逃れることはできないものに縛られた人々の心の動きを捉える作家の射抜くような視線に圧倒される。カナダの田舎町で、キツネを飼育して皮を剥ぐことを生業(なりわい)にする父親がいたり、リノリウムの床を磨くために熱湯を沸かす生活なんて、到底ノスタルジアを感じる要素はなさそうなのに、尋常でいられないくらい心を揺さぶられ、強い郷愁にかられる。

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