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【話の肖像画】指揮者・大友直人(60)(4)一流演奏家とデビュー

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(三尾郁恵撮影)
(三尾郁恵撮影)

 〈桐朋学園大学に在学中、三善(みよし)晃学長自身から自作の演奏会の指揮を頼まれる〉

 楽譜を受け取り、一夜漬けで勉強しました。翌日のリハーサルに顔を出すと、びっくりしました。そこに、NHK交響楽団で活躍しているバイオリンの徳永二男(つぎお)さんやチェロの徳永兼一郎さんといった一流の演奏家がいたのです。

 幸い演奏会はうまくゆき、それ以降、徳永二男さんがいろいろと声をかけてくださるようになりました。バーバーの「弦楽のためのアダージョ」と、すぎやまこういちさんの「弦楽のための舞曲」のダイレクト・カッティングのレコーディングに指揮者として呼ばれました。そんな中で、「指揮は現場で覚えるのが一番だからN響にくれば」と誘っていただき、大学2年生のときにN響の指揮研究生になりました。

 デビューは昭和56年1月15日。N響の「若い芽のコンサート」でした。成人の日に若い音楽家を紹介する演奏会で、さまざまなコンクールで優勝した演奏家が出演することが多いのですが、私は楽団推薦という形で出演することになりました。指揮したのはラベルの「ダフニスとクロエ」の第2組曲でした。

 〈この年に桐朋学園を卒業し、米国マサチューセッツ州で毎年夏に開催されるタングルウッド音楽祭に参加する〉

 桐朋学園では導いてくださった斎藤秀雄先生が亡くなった後、先生のお弟子さんたちが時間を作っては来校し、指導に当たってくれました。森正さん、秋山和慶(かずよし)さん、小澤征爾(せいじ)さん、山本直純(なおずみ)さん…。

 斎藤先生に個人的に教えを請うことはできませんでしたが、その代わりにそうそうたる指揮者の方々に教えてもらうことができたのは幸運でした。小澤さんにもお世話になり、タングルウッド音楽祭のサマースクールに呼んでもらいました。

 振り返ると、私は不良学生でした。反抗的な学校生活を送ってしまったと思います。まず、指揮科のクラスの担任とそりが合わなかった。

 決定的だったのは、レナード・バーンスタイン(米作曲家、指揮者)とのやりとりです。学生はサマースクールの期間中、寮で生活します。寮のリビングルームに行くと、バーンスタインが学生たちと雑談をしていました。私もその輪に加わり、雑談に耳を傾けていました。目が合った私に、彼は仕事について質問してきました。私がNHK交響楽団でアシスタントをしていると答えると、彼は大げさな口調で、N響の欠点をいくつも指摘して笑いものにしたのです。N響と小澤さんのトラブルを耳にしていた彼が大げさに言ったのでしょう。

 〈小澤はニューヨーク・フィルの副指揮者を経て37年、N響と指揮者契約を結ぶ。だが小澤とN響は対立、N響は小澤の指揮をボイコットする事態となっていた〉

 N響は彼があげつらうようなオーケストラではありません。悔しさに震えながら反論をしようとしましたが、彼はもう次の学生に話しかけていました。このときの忸怩(じくじ)たる思い…。(聞き手 桑原聡)

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