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【話の肖像画】指揮者・大友直人(60)(3)斎藤秀雄は「かわいい先生」

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(三尾郁恵撮影)
(三尾郁恵撮影)

 〈大友さんと面談した斎藤秀雄はチェロ奏者として出発。昭和23年にピアニストの井口基成、声楽家の伊藤武雄、音楽評論家の吉田秀和らと「子供のための音楽教室」を開設。これが桐朋学園の音楽系学科開設につながってゆく〉

 斎藤先生の家を訪ねたときのことは今も鮮明に覚えています。斎藤先生は新聞を持ってきて、母にうれしそうに見せたのです。そこには小澤征爾(せいじ)さんがボストン交響楽団の音楽監督に決まったという記事がありました。教え子の出世がうれしくてしようがない様子でした。世間では恐ろしい先生といわれていますが、子供心に「かわいい先生だな」と思いました。

 自慢話が終わると、斎藤先生から桐朋学園の指揮科を出ても仕事がないケースが出てきていると聞かされました。入学すれば指揮はしっかり教えるから、とにかく一生懸命楽器をやりなさいと言われました。楽器ができればオーケストラで仕事にありつくこともできますから。私はピアノの他に弦楽器で中学生から始めても遅くないのはコントラバスだろうと考えていたので、「コントラバスをやります」と言うと、「それはいい考えだ。お母さん、息子さんにコントラバスを買ってあげてください」と即座に賛成してくれました。

 その後です。斎藤先生は母にこう言ったのです。「音楽なんて女子供のやるもの。私の世代では芸事の世界ですよ。いいんですか」。母は黙ってうなずくだけでした。

 斎藤先生は音楽が社会においてどんなポジションにあるのか、その役割を果たすためには何をしなければならないかをよく認識されていたのだと思います。

 目標が決まってやるべきことがはっきりし、そこからは一直線でした。無事にコントラバス専攻で桐朋学園に入学しましたが、残念なことに、私が入学した年の秋に斎藤先生はお亡くなりになり、個人的にお話しできたのは自宅訪問のときだけということになってしまいました。

 でも、先生の残された教本や、直接教えを請うた先生方や先輩たちから先生の教えをたたき込まれました。

 桐朋学園は、いい意味で本当に自由な校風でした。先生、先輩、後輩の関係が自然で緊密でした。高校も大学も同じ教室を使うので、当時は教室の机の上に灰皿があったぐらいです。コントラバスは小野崎充(みつる)先生に習い、あらゆる意味で学校をフル活用しました。作曲家の平吉毅州(たけくに)先生に師事して作曲の勉強を続け、「プレイアード五重奏団」を組織して最先端の現代音楽にも取り組み、学生オーケストラの指揮にも挑戦しました。

 大学に進むとチャンスが訪れました。ある日、自宅に学長の三善(みよし)晃先生から電話があり、3日後の演奏会の指揮を頼まれました。先生の作品の演奏会を指揮者なしで行おうとしたところ、リハーサルで演奏家から指揮者が必要だという声が上がったというのです。「何とかやってくださらないか」と学長に頼まれれば、断ることはできません。(聞き手 桑原聡)

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