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【話の肖像画】指揮者・大友直人(60)(2)レコードで心震え決意

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(三尾郁恵撮影)
(三尾郁恵撮影)

 〈音楽に囲まれた環境でもなく、音楽の英才教育を受けたわけでもない少年が、とあるきっかけで指揮者を志すようになる〉

 小学校3年生のとき、父が無造作に積んでいたクラシックのレコードを、無断でかけてみたのです。ドボルザークの交響曲第9番、ベートーベンの交響曲第6番、それに第9番でした。圧倒され、心が震えました。

 これをきっかけに、両親にコンサートに連れて行くようせがみ、たびたび生のオーケストラを聴くようになりました。特に印象に残っているのは、昭和44年2月、上野の東京文化会館で聴いたゲオルク・ショルティ指揮のウィーン・フィルです。自分は音楽で生きていきたい。作曲もしたい、指揮もしたい、と漠然と考えました。

 小学校からそのまま、東京学芸大学附属竹早(たけはや)中学校へ進みました。小学校時代はのんびりしていましたが、中学では受験のための日々が始まります。2年生のとき、真剣に自分の進路を考えました。音楽は捨てがたいですが、音楽家の伝記を読むと、自分の年齢のときには多くが活躍しています。もう自分は音楽家になるには手遅れではないか、と深刻に悩みました。

 そんな私にきっかけを与えてくれたのが、父たちの雑談でした。父は自宅に友人を招いてよくマージャンをやっていました。そこでは戦前、戦中、戦後の比較がよく話題になっていました。聞くとはなしに聞いているうちに、日本の近代史、戦前と戦後の違いが気になり始め、自分なりに勉強を始めました。そして生意気にも、このような結論に達したのです。

 GHQ(連合国軍総司令部)によって作られた戦後の教育システムでは、本当に才能のある人間はスポイル(ダメになる)される。将来、日本が戦勝国に歯向かわないように、日本人そのものを弱くするように、この教育システムは設計されている。みんな横並びで受験するのは危険ではないか。自分はこの教育システムからいち早く脱走してやろう-。

 教師に「音楽家になりたい」と言うと、「何を考えているのか」とけんもほろろでした。

 ところが父は、「芸術家として生きてゆくことができれば、それに勝る人生はないだろう」と、あっさりと私の希望を認めてくれました。母は父の無責任な発言にショックを受け、しばらく寝込んでしまいました。今思うと、無責任極まりない発言ですが、当時の私にとって、こんなうれしい言葉はありませんでした。

 〈音楽家になると決めた少年は、母とともに指揮者の小澤征爾(せいじ)を育てた斎藤秀雄を訪ねる〉

 職業柄、父には政治家の知り合いが多く、マージャン仲間だった鳩山威一郎さん(元外相、鳩山由紀夫、邦夫兄弟の父)に私のことを相談しました。鳩山さんは義理の兄弟である指揮者の渡辺暁雄(あけお)先生を紹介してくれました。渡辺先生を訪ねると、「中学生や高校生の指導なら斎藤秀雄さんの方がいい」と、私の目の前で斎藤先生に電話をかけて約束を取り付けてくれたのです。(聞き手 桑原聡)

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