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【日本人の心 楠木正成を読み解く】序章(4)戦時下、利用され、消され

戦後すぐの初等科国語の教科書のレプリカ。墨塗りしたもの(下)では桜井駅の別れが抹消されている=京都市学校歴史博物館(恵守乾撮影)
戦後すぐの初等科国語の教科書のレプリカ。墨塗りしたもの(下)では桜井駅の別れが抹消されている=京都市学校歴史博物館(恵守乾撮影)

 ■語ることはタブーなのか

 楠木正成(くすのき・まさしげ)ほど、時の権力に都合良く利用され、歴史の変転とともにその評価が大きく変えられた人物はいない。

 昭和15(1940)年、正成を描いた映画「大楠公(だいなんこう)」が公開された。阪東妻三郎や尾上菊太郎、月形(つきがた)龍之介といった当時の大スターをそろえた力作である。

 正成は元弘元(1331)年、後醍醐(ごだいご)天皇の招集に応えて鎌倉幕府打倒の兵を挙げて倒幕を成し遂げ、その後も忠臣として足利尊氏(たかうじ)の大軍に勝ち目のない戦を挑んで非業の最期を遂げたと伝えられる。千人足らずで数十万もの幕府軍を食い止めたといわれる胆力と智力、自策が退けられて不利な状況になっても寝返ることなく散った生きざまは戦記『太平記』などで好感をもって伝えられ、当時、後世の日本人の人気と憧れを集めた。

 「大楠公」は日中戦争の真っ直中、国家総動員法による総力戦体制のもとで公開された。正成、正行(まさつら)親子による天皇への忠誠で彩られたこの映画は、雑誌に「日活京都が東西総動員にて製作(中略)楠氏の苦闘受難を想起して、国民精神作興に資せんとする」と紹介されている。

 映画会社は当時、映画で国に奉仕するという「映画報国」の方針を打ち出していたが、戦局が厳しくなると時の政権はこれを利用して「国民精神の想起」を図った。根拠となったのは「大楠公」公開の前年に成立した「映画法」だ。脚本の事前検閲といった規制がある法律で、「大楠公」も許可、検閲を通過して公開されたのだ。

 正成が利用されたのは映画だけではない。もともと日本人を惹(ひ)きつけた楠公精神とは、「私心なき忠義の心」というものだった。これがいつしか、「玉砕精神」にすりかわり、喧伝(けんでん)されるようになった。

 三重大学の森正人教授は「正成を理想の忠臣とする議論は江戸時代後半から全国で展開した尊王(そんのう)思想で過熱し、それに続く明治から終戦にかけて『忠君』を体現した人物として用いられました。国民の目指すべき『モデル像』とされたのです」とする。

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 正成が戦時下に利用されるようになる“芽”は、初等教育から育まれた。明治14(1881)年に公布された「小学校教則綱領」に「殊(こと)ニ尊王愛国ノ志気ヲ養成センコトヲ要ス」と明記され、正成は尊王愛国のシンボルとして絶好の教材となった。転機となったのは明治36年、菊池大麓(きくち・だいろく)文部大臣が断行した教科書の国定化で、全国すべての小学校で文部省著作の教科書が使われることになったことだ。

 国定教科書になって以降、正成の記述は次第に変化し、特に歴史教科書の正成最期の場面は美化されるようになった。「湊川(みなとがわ)の戦いで討ち死にしました」と簡潔な表現だったのが、明治44(1911)年の改訂で「七たび人間に生まれて朝敵(ちょうてき)を滅ぼさん」との記述が加わり、さらに昭和9(1934)年には「わが国民は、皆、正成のような真心を持って、大いに御国(おくに)のためにつくさねばならぬ」と加筆された。

 武蔵野大学の貝塚茂樹教授は「国定教科書は第4期と第5期でかなり内容が変わってきます。4期は満州事変最中の昭和8年から、5期は大東亜戦争に突入した16年から使われた教科書で、極端な国家主義や軍事色の強い内容になっていきます」と解説する。

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 京都市学校歴史博物館(京都市下京区)には「墨塗りの教科書」が展示されている。昭和16(1941)年から使われていた「初等科国語」の国定教科書で、終戦直後、戦争に関する部分を子供たちが墨で消した。新しい教科書が行き渡るまで使わざるを得なかったためだ。墨塗りは終戦直後の昭和20(1945)年9月に出された文部省の通達により行われ、その後、連合国軍総司令部(GHQ)の意向を受けた2度目の通達が出された。国はGHQの指示の前に、戦前教育を消しにかかったのである。

 同館に所蔵してある教科書では「菊水(きくすい)の流れ 櫻井(さくらい)の驛(えき)」の項が真っ黒に塗られている。正成が決死の戦に志願する息子、正行を説き伏せて別れ、死地となる湊川の戦いに赴く「桜井の別れ」の記述で、『太平記』で最もよく知られるシーンだ。同館学芸員の和崎光太郎さんは「どこを塗るかについての国の方針は一応ありましたが、実際は現場の先生に任されていたようです」と話す。

 天皇を支え、圧倒的に不利ながらも湊川の戦いに臨んで散った正成は、戦時国家の国威発揚に使われ、敗戦とともに「悪(あ)しき戦前の象徴」として消し去られた。戦後74年の長きにわたり正成を語ることは「軍国主義を想起させる」とタブー視されてきた。

 本連載が問題視したいのはそこだ。もとより権力による利用は正成が望んだことではない。

 思考停止のごときタブー視を解き、政治利用された正成像を正し、もともと憧れを集めた「美しき精神の人」としての正成像、思いを寄せた無数の人々の心から、日本人の精神性を今こそ浮かび上がらせたい。=毎週金曜掲載

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 ■墨塗り教科書

 終戦直後に暫定的に使用された戦時教科書で、文部省の指示で「国防軍備の強調」「戦意高揚」などを想起させる教材の記述は削除された。主に学校現場で児童が墨で消したため、「墨塗り教科書」と呼ばれる。文部省は昭和20年9月の文部次官通牒(つうちょう)と、連合国軍総司令部の意向を受けた翌21年1月の教科書局長通牒の2回にわたり削除指示を行い、「兵タイゴッコ」「水兵の母」などが塗られた。21年7月には戦時教科書の回収指令が出されて新しい教科書に入れ替わり、墨塗り教科書は姿を消した。

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