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【門井慶喜の史々周国】≪津和野カトリック教会≫島根県津和野町 大きさは市民の贖罪の総量

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殉教者をたたえるために建てられた津和野カトリック教会。城下町の町並みにゴシック建築の建物が映える=島根県津和野町(筆者撮影)
殉教者をたたえるために建てられた津和野カトリック教会。城下町の町並みにゴシック建築の建物が映える=島根県津和野町(筆者撮影)

 つわの、つわの、とつぶやくだけでもう心がしっとり濡(ぬ)れとおるほど、この街が好きである。

 これまで四、五度も行っただろうか。行けば山間の小さな村にすぎないが、村そのものが宝石のようであり、歩くだけで飽きない。メインストリートというべき殿町通りには、藩校養老館もあるし、旧家老家・多胡(たご)家のりっぱな表門ものこっている。さすがは徳川時代からその名を知られた、(文教の街)

 そう思わざるを得ないのだ。

 そんな上質の気分のなか、ひときわ異彩を放つのは、昭和六年(一九三一)に建てられた津和野カトリック教会だろう。道に面した塀はつややかな瓦をいただいた純和風だし、表札も縦書き、しかも戦前の正字である。

 なのに一歩、足をふみいれると西洋そのもの。単塔式のゴシックがすがすがしく天をめざして存在感がある。壁の白さもさることながら、建物そのものが、街の規模に対して大きいのだ。

 その大きさは、ひょっとしたら、市民たちの贖罪(しょくざい)の念の総量かもしれない。元来この教会は、キリシタン弾圧による殉教者をたたえるために建てられたものだからだ。話のはじまりは幕末の黒船来航。日本は開国し、宣教師の来日をみとめるようになり、フランス人の宣教師が長崎に来た。

 大浦天主堂を建立した。そうしたら近くの浦上村の人々が、

 --われわれは、これまでの長い禁教の世にも、代々、信仰をすてずにおりました。今後どうかお導きください。

 いわゆる隠れキリシタンの一団である。世界カトリック史上「信徒発見」と呼ばれる大事件にほかならなかった。幕府はしかし彼らを捕縛した。各国公使から猛抗議を受けたにもかかわらずなお拘束しつづけたのは、おそらくは恐怖の故だったのだろう。

 軍艦や、大砲や、牛の肉に喰(く)らいつく獰猛(どうもう)な食習慣だけでもおそろしいのに、その文明の根本(こんぽん)というべきキリスト教がもしも世にひろまったりしたら、

 --日本は、終わる。

 ほどなく幕府は瓦解(がかい)し、御一新(ごいっしん)の世となったけれども、人の心は変わらない。新政府は彼らを解放しなかった、ばかりか西日本のあちこちへ配流した。その配流先のうちのひとつが、すなわち津和野だったわけだ。

 津和野は、文教の街だった。

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