PR

ライフ ライフ

【維新150年】外交官が見たOSAKA

Messenger
ハリー・パークスが宿泊した正法寺の門=大阪市中央区の正法寺(宮沢宗士郎撮影)
ハリー・パークスが宿泊した正法寺の門=大阪市中央区の正法寺(宮沢宗士郎撮影)

 大阪メトロ谷町九丁目駅から高津宮(こうづぐう)に向かった。谷町筋から西へ1本入った中寺町は文字通り寺院が連なる町。大相撲春場所の頃には、界隈(かいわい)の寺を宿所とする力士の姿も見られる。

 めざす正法寺(大阪市中央区中寺)は“高津さん”の参道の手前に見えた。幕末、大坂(大阪)に入った英国のハリー・パークス公使ら同国代表団のために幕府は正法寺など4つの寺を提供した。パークスの有能な部下で通訳のアーネスト・サトウが宿泊した本覚寺は、通りをはさんで東のマンションあたりにあった。

 すでに幕府の機能は大坂(大阪)城にあり、英国のほか、フランス、米国、オランダの代表団も中寺町周辺に宿所=臨時公使館を置いた。大坂は外交の舞台となり、初めて見る異国人に街はざわめいていた。

   × × ×

 慶応2(1866)年12月、徳川慶喜が「最後の将軍」となり、幕府は4カ国の公使に大坂城で会談すると通知した。第2次征長戦争で敗れ、大坂開市・兵庫開港問題で外国と朝廷とのはざまに立つ慶喜が、「積極的開国」で外国に友誼(ゆうぎ)をアピールし、併せて朝廷と薩長を牽制(けんせい)する狙いだったのだろうか。

 会談の事前準備でサトウが同僚3人と大坂に入ったのは翌年の慶応3年1月12日。その回想録「一外交官の見た明治維新」(坂田精一訳、岩波文庫)にサトウが綴(つづ)る。

 《大坂(オーザカ)の町に着いた。大きな木橋(天満橋)を渡り、左へ折れ、右へ曲がり、長い街路を通ってようやく本覚院(寺)に着いた》

 一行には護衛の兵士が付き、宿舎では外国係の役人の歓待を受けたようだ。食卓に葡萄(ぶどう)酒が置かれ、トイレには石けんとオー・デ・コロンも用意されていた。

 翌日、早速、大坂一の繁華街、心斎橋筋に散歩に出かけたが、そこには異様な風景が広がる。

 《黒山のような人々が異国人の姿をひと目見ようと、後ろからぞろぞろついてきた。暗くなるまで本屋や呉服屋をひやかしながら歩き回った》

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ