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【阪神大震災24年】傷分かち合う母たちの絆 長女失った山谷つや子さん(79)

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祈りを捧げる山谷つや子さん=17日午前5時23分、神戸市中央区の東遊園地(竹川禎一郎撮影)
祈りを捧げる山谷つや子さん=17日午前5時23分、神戸市中央区の東遊園地(竹川禎一郎撮影)

 「美穂がつないでくれた出会いに生かされているよ。ありがとう」。長女の美穂さん=当時(26)=を失った山谷つや子さん(79)=兵庫県川西市=は17日早朝、神戸市中央区の東遊園地で祈りをささげた。娘を失った喪失感と生き残った罪悪感にさいなまれ続けた24年。命をつないでくることができたのは、同じようにわが子を失った母親たちとの絆があったからだ。

 《今日は暖かく、今の時期でもこんな日があるのかと得をした気分です》。昨年12月、山谷さんのもとに、震災で長男夫婦を亡くした足立朝子さん(82)=同県豊岡市=から一通の絵はがきが届いた。日々の出来事や山谷さんを気遣う言葉がつづられ、隅に手描きのマーガレットの花が添えられていた。山谷さんは「この一枚が届くのをずっと楽しみにしている。読むと心が丈夫になるから」とほほ笑む。

 夫はがんで早世し、女手一つで子供2人を育てあげた。苦労を重ねた母の背中を見てきた美穂さんは「早く楽にしてあげたい」と、平成元年に美容師の資格を取った。長男が家を出た後は、神戸市東灘区の文化住宅で2人暮らしに。美穂さんは仕事を終えて帰宅すると、いつも母の髪を丁寧にといてくれた。

 そんな日常を震災が一瞬にして奪った。2人は文化住宅の下敷きになり、美穂さんだけが帰らぬ人となった。「そのうち『お母さん、おはよう』と言い出すでしょ」。冷たくなった美穂さんの体を涙が枯れ果てるまで揺すり続けた。

 以降、生き残った罪悪感ばかりが募った。目を閉じると当時の記憶がフラッシュバックし、激しいめまいに襲われた。職場も辞め、ふさぎこむようになった。

 震災から約5年後、転機が訪れた。慰霊碑を訪ね歩くイベントに参加し、足立さんらわが子を失った同じ立場の母親たちと出会った。親戚や友人にも明かせない思いを不思議と素直に吐き出すことができた。

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