PR

ライフ ライフ

【明治の50冊】(41)島崎藤村『破戒』 絡み合う自我の苦悩と社会

Messenger
新潮文庫版『破戒』
新潮文庫版『破戒』

 日露戦争勝利の余韻いまだ冷めやらぬ明治39(1906)年春、自費出版された一冊の長編小説が文壇に大きな衝撃を与えた。文豪、島崎藤村の代表作『破戒』は、出自の秘密を抱えた青年の自我の苦悩を社会問題と絡めながら鋭くえぐり出し、人間のありのままの姿を描こうとする自然主義文学の出発点となった記念碑的作品だ。

 主人公は、長野県北部の飯山で小学校教員を務める青年、瀬川丑松(うしまつ)。被差別部落出身の彼は、出自について父親から「決して自白(うちあ)けるな」と固く戒められていた。だが、同じく被差別部落出身ながらそれを明かして果敢に言論活動を行う解放運動家、猪子蓮太郎の生き方に感化され、激しい差別の状況に苦悩しつつ次第に自身も告白を考えるようになる。そして蓮太郎が非業の死を遂げたのをきっかけに、父の戒めを破って生徒たちの前で自らの素性を打ち明け、教職を辞し米国テキサスに旅立っていく。

 刊行時、藤村は34歳。若い頃すでに東京の文壇で詩人として名をなしていたが、長野県で6年にわたる教員生活を送る中で小説家へ転身。2年がかりで取り組んだ『破戒』は、自費出版ながら同時代の作家たちの間で反響を呼んだ。

 藤村と同時期に小説を書き始めた夏目漱石は、弟子あての書簡で「明治の小説として後世に伝ふべき名篇(へん)也…明治の代に小説らしき小説が出たとすれば破戒ならんと思ふ」と激賞。自然主義文学運動をリードした評論家の島村抱月も、「我が文壇に於ける近来の新発現」「小説壇が始めて更に新しい廻転期に達したことを感ずるの情に堪へぬ」(「早稲田文学」明治39年5月号)と、その革新性をたたえた。

 刊行の翌年には、『破戒』に刺激を受けた田山花袋の自己告白小説『蒲団(ふとん)』が発表された。同作とともに明治末の文壇を席巻する自然主義文学の源流となるなど、後世への影響も大きい。新潮文庫版は144刷378万7千部に達し、現在も広く読まれている。

 冒頭の「蓮華寺では下宿を兼ねた」という書き出しは有名だ。文芸評論家の伊藤氏貴・明治大准教授は、そうした簡潔な三人称の文体が持つ清新さを挙げた上で、明治20年ごろから文学のテーマが社会から個人に移ってきた流れに逆行するような形で、『破戒』が個人の悩みを社会問題とつなげた特異性に注目。「文体面でも新しく、さらに社会問題というそろそろ文学ではマイナーになりつつあった点も絡めているところがこの作品を非常に目立ったものにした」と話す。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ