PR

ライフ ライフ

【昭和天皇の87年】闇に葬られた「桜会」の謀略 中堅将校に過激思想がみなぎった

Messenger

 不況で打撃を受けたのは、大学新卒のインテリ層だった。6年3月2日の東京朝日新聞が書く。

 「刀折れ矢は尽きた 各大学就職戦線 昨年に比し半減、三分の一減 無残、打砕かるゝ若人」

 この年の法・経・文科系新卒者の就職率はわずかに3割。4年秋に上映された小津安二郎監督の映画タイトル「大学は出たけれど」が流行語にもなった。全体の失業率も4年の4・3%から5年は5・2%、6年は5・9%、7年は6・9%-と、急激に悪化していく(※2)。

 農村はさらに悲惨だ。農作物価格が暴落し、その穴を埋めようと農家が増産に励んだことがさらなる価格低下を招くという悪循環。昭和4年に比べ6年の米価は58%、9年の繭(まゆ)は31%に落ち込んだ。「キャベツ50個で敷島(タバコの銘柄)1つ」といわれたほどである。のちに凶作も加わり、娘の身売りや欠食児童が社会問題化するようになった。

 金解禁などの経済政策を強引に進めたのは蔵相、井上準之助である。日銀出身の井上は現実よりも理論にこだわり、イギリスをはじめ欧州各国が次々に金輸出を再禁止していく中でも金解禁政策に固執した。このため正貨の流出に歯止めがかからなくなると、井上は公定歩合を一気に上げて金融を引き締めようとし、さらに不況を深刻化させてしまった。

× × ×

 昭和恐慌は、先の大戦の遠因にもなったといわれる。全体主義的な風潮を生み出したからだ。その兆候が、早くも陸軍部内に見え始めていた。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ