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【日本人の心 楠木正成を読み解く】序章(1)皇居外苑 振り向かれぬ英雄

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 皇居ツアーのボランティアガイドを務める元警察官、坂元隆昭さんは「かつては修学旅行や東京詣での観光客で銅像がにぎわったといいますが、今では存在を知らない人がほとんどですね」とさびしそうだ。

 楠公像を寄贈した住友家の文書『住友春翠(しゅんすい)』には、銅像台座にある説明を書いた漢学者、川田甕江(おうこう)の書面に「天皇陛下ノ思召(おぼしめし)ニテ、楠公ト極(きま)リタル由(よし)ナレド」とあった、と記され、正成は明治天皇のご希望だったことが分かる。

 そんな大評判の銅像は時の流れに従い、知る人が少なくなってしまった。

                   

 南北朝時代の動乱期を描く『太平記』に、戦前は誰もが知っていた「桜井の別れ」がある。討ち死にを覚悟して兵庫・湊川(みなとがわ)で足利尊氏の大軍を迎え撃つ正成が、今の大阪府島本町にある「桜井の宿」での、嫡男(ちゃくなん)の正行(まさつら)との別れの場面を描いたものだ。『太平記』は、一緒に戦うと訴える正行に、正成がかけた言葉をこう描く。

 〈一旦の身命(しんみょう)を助けんために、多年の忠烈を失ひて、降参不義の行跡(ふるまい)を致す事あるべからず。一族若党一人も死に残つてあらん程は、金剛山(こんごうさん)に引き籠(こ)もり、敵寄せ来たらば、命を兵刃(へいじん)に堕として、名を後代に遺すべし〉

 死地に向かう前、「足利の世になっても命を惜しまず戦うように」と息子に言い残す場面は、教科書の教材や唱歌『桜井の訣別(けつべつ)』になった。

 さらに倒幕の兵を挙げた正成が、金剛山千早城で幕府の大軍を迎え撃つ場面。

 〈大軍の近づく処(ところ)、山勢(さんせい)これがために動き、時の声の震ふ中、坤軸須臾(こんじくしゅゆ)に摧(くだ)けたり。この勢(せい)にも恐れず、わづかに千人に足らぬ小勢(こぜい)にて、誰を憑(たの)み、何を待つとしもなく、城中にこらへて防ぎ戦ひける、楠が心の程こそ不思議なれ〉

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