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【日本人の心 楠木正成を読み解く】序章(1)皇居外苑 振り向かれぬ英雄

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皇居外苑に立つ楠木正成(楠公)の銅像=東京都千代田区(酒巻俊介撮影)
皇居外苑に立つ楠木正成(楠公)の銅像=東京都千代田区(酒巻俊介撮影)

 皇居外苑の一角に巨大なブロンズ像が立つ。「馬場先門(ばばさきもん)の楠公(なんこう)像」。前脚を上げる軍馬の手綱を引いた甲冑(かっちゅう)姿の楠公こと楠木正成(くすのきまさしげ)の銅像だ。明治33年に住友家から宮内省に献納され、制作中には明治天皇がご覧になった。戦前は、上野の西郷隆盛像、靖国神社の大村益次郎像と並ぶ「東京の三大銅像」として人気を博した。

 現在、銅像のそばには大型観光バスの駐車場がある。1日平均200台ものバスが発着するが、「ほとんどの人が銅像が正成とは知らない」(国民公園協会皇居外苑楠公・北の丸の関原利裕管理者補佐)。かつての東京名所、楠公像はいまや忘れられている。

 正成は鎌倉時代末期、後醍醐(ごだいご)天皇の倒幕の呼びかけに応じて挙兵、大阪・河内(かわち)の金剛山(こんごうさん)で鎌倉幕府の大軍を迎え撃った。その後、天皇に背いた足利尊氏勢と孤軍奮闘し、兵庫・湊川(みなとがわ)で最期を迎えた。千騎足らずで幕府軍数十万騎を苦しめ、当時、多くの武将が利を求めて尊氏に寝返る中、最後まで後醍醐天皇を支えた。

 その生き方を『太平記』は「智仁勇の三徳を兼ねて、死を善道(ぜんどう)に守り、功を天朝に播(ほどこ)す事は、古(いにしえ)より今に至るまで、正成程の者は未だあらず」(徳が高く命をかけて正しい道を守った正成ほどの者はいない)と記す。

 だが、正成人気は終戦で一変する。教科書から正成の記載は消え、各地の楠公像は姿を消し、雑誌の楠木正成の連載は打ち切られた。湊川の戦いから六百余年。平成最後の冬に皇居外苑を歩いた。

                   

 ■正成への憧れとは何だったのか

 皇居外苑の「馬場先門の楠公像」の前。大型バスを降りた外国人の一団が二重橋に向かう。楠公こと楠木正成の銅像がそびえるが、台座の下を足早に通り過ぎていった。修学旅行らしい高校生の団体が銅像に目を向けることなく、近くのベンチで三々五々、配られた昼食の弁当を食べている。

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