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【本郷和人の日本史ナナメ読み】歴史家の「閃き」を表現する媒体 新書・選書と論文の違い

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 これはたぶん誤りで、すぐに思いつくものでも『岩波講座 日本の思想 第八巻』に「王法と仏法」(26年)、雑誌『法然思想』(草愚舎)の0号(27年)と3号(28年)に一本ずつ、それから朝倉書店の何巻本かになる『領域の歴史と国際関係』の総論と各論を一つずつ(今年刊行予定)を書いている。細かく思い出せばもう何本かは書いてるはず。いや、誤りは良いのです。ただ「あいつは論文を書いてない」という指摘が研究者への批判になるところが問題です。つまり「新書や選書などは論文よりも学術的に下だ、学問業績にはならない」という認識ですが、これは正しいのでしょうか。

 他の学問は知りませんが、現状、日本史の学界はまさにそう。選書や新書は「一般書」として業績にカウントしない。たしかに研究状況を分かりやすく伝えるだけの本はあるし、まさかぼくが監修した『やばい日本史』(ダイヤモンド社)に学問的価値を見いだせなんて言えません。でもたとえば『日本史のツボ』(文春新書)。これには40年くらい日本史研究に従事した結果、ようやく見えてきたエッセンスを盛り込んだ。

 一例を挙げると、「古代・中世においては所有権が成熟していない」という指摘です。このことを言葉にし得た(閃(ひらめ)いたときには、そうかそうかとつぶやきながらその辺を踊り回りました)ことによって、ぼくは荘園制という訳の分からない土地所有(これを分かりやすく教えられると、プロの教師として一人前といわれる)をやっと説明することができた。

 東と西の問題もそうです。ぼくはずっと、なぜ平清盛は源頼朝を伊豆なんぞに流したのかが分からなかった。そんなの、関東の武士と結んで反乱を起こせといってるようなものじゃないか、と。それから東と西の境界線ということも気になっていた。それをいっぺんに解決できたのが、ああ日本は古来、西国国家なのだ。日本列島は一つの国家という古代史の主張は画(え)に描いた餅だ、という「気づき」でした。これをどう論文で表現するか。新書の方が絶対に効果的に自説を述べられるのです(西国国家論は、先の『領域の…』でむりやり論文化しましたが)。

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