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龍谷大院生の調査成果を展示 京都市考古資料館で

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「丁綱」と墨で書かれた白磁壺の底。中国から運ばれてきたルートがわかるという
「丁綱」と墨で書かれた白磁壺の底。中国から運ばれてきたルートがわかるという

 京都市考古資料館(同市上京区)で、市埋蔵文化財研究所(同区)と龍谷大学が合同で企画した展示「龍大生が語る京都の町と祈り」が開かれている。平安京の東市とその周辺、さらに平安時代の創建以来多くの人の信仰を集める醍醐寺(同市伏見区)にスポットを当て、遺物などとともにその歴史を紹介している。20日まで。

 同資料館と同研究所が大学・高校などと行う企画展で、平成23年から毎年開催。8回目の今回は龍谷大大学院文学研究科日本史学専攻、文学部歴史学科文化遺産学専攻と合同で企画した。

 テーマは、日本史学専攻博士後期課程1回生の清水真好さんが研究する「平安京東市と七条町」と、同修士課程1回生の吉兼千陽さんの「醍醐寺の町石」。関連遺物やパネル約150点とともにこれまでの研究成果を披露している。

 平安京には左京と右京でそれぞれ七条大路周辺に4町(1町は約110メートル四方)の市場とそれに付随する外町が存在したが、律令制度の衰退とともに右京の市場(西市)は9世紀中頃から、左京の市場(東市)も10世紀後半には機能しなくなる。

 その一方で、平安時代後半には東市とその東の町尻小路(現在の新町通)、その周辺に「七条町」と呼ばれる工業地帯が現れ、鋳造などにかかわる生産活動が活発化してくる。

 七条町の展示では、同大学が大宮学舎(下京区)などの発掘調査で出土した遺物のうち東市の存在を裏付ける「厨(くりや)」と刻まれた緑釉(りょくゆう)陶器の底や七条町の生産活動を物語る鋳型、中国から博多を経て京都に運ばれてきたことを示す「丁綱」と墨書された白磁器の底などが並ぶ。

 また醍醐寺の展示では、下醍醐から上醍醐へ登る参道の脇に1町ごとに建てられた「町石」の由来などをパネル写真などで説明している。町石は霊場信仰が盛んになった平安時代中期以降、建てられた参詣者用の道しるべだ。

 さらに1本の町石に刻まれた年号から鎌倉時代後半に当時の同寺座主、定済(じょうさい)が建てた一大事業だったと説明。江戸時代に新しく立て直したものも数多くあり、鎌倉以降も多くの参詣者を導いていることを紹介している。

 13日には関連イベントとして、大宮学舎で講演会と史跡ウオークを開催する。展示を指導した同大学の國下多美樹教授は「学生らが発掘調査を行っただけでなく、そこで出土した資料を文献などで検討してきたもので、面白い内容になった。ぜひ足を運び、見てほしい」と話している。

 入館無料。午前9時~午後5時。15日は休館。問い合わせは同資料館(075・432・3245)。

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