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【維新150年】文明開化発祥のまち「川口居留地」

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 欧米の大阪への期待は大きく、居留地の初回分譲26区画の競売に外国人商人が殺到した。内訳は英国人13区、米国人、ドイツ人各4区、フランス人、オランダ人各2区、ベルギー人1区で、平均分譲価格は100坪あたり354両。最高価格は820両で、神戸の2倍以上の高値がついた。

 その後、新たに10区画を分譲。さらに周辺の8地区を「雑居地」に指定し、外国人が借地や借家で居住することを認めたため、川口とその周辺は一気に新しい街として開かれる。

 ただ、貿易港としての大阪港の繁栄は短かった。もともと河川に開いた港で、大型船が航行できず、さらに大阪-神戸間に鉄道が開通したこともあり、開港から7、8年後には外国人商人の大半が神戸に移ったという。一説には、外国事務の大阪の責任者だった五代友厚が外国人商人の不正や横暴に厳しく、神戸の伊藤俊輔(博文)が寛大だったことも一因とされている。

 代わって居留地に入ったのは欧米系の宣教師らで、教会や学校、病院を建設。照暗女学校(現平安女学院)、永生女学校(現プール学院)、三一小学校(現桃山学院)など関西を代表するミッションスクールが相次いで創立され、キリスト教伝道と女子教育の拠点となっていく。

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 文明開化は大阪に異国情緒豊かな景観をもたらした。文献によれば、居留地の道路幅は広く、歩道と馬車道に分けられた街路にユーカリやゴムの木が植えられ、夜にもなると、ガス灯が点(とも)った。南国風のベランダとバンガロー様式の住宅が建ち、明治中期には英国風コテージ様式、スペイン風コロニアル様式の石造り、煉瓦造りの建物が増えたという。

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