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兼高かおるさん、テレビ通じ“海外へ”の夢伝える

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パンアメリカン航空の模型を前にインタビューに応じる兼高かおるさん=淡路市塩田新島の「淡路ワールドパークONOKORO」
パンアメリカン航空の模型を前にインタビューに応じる兼高かおるさん=淡路市塩田新島の「淡路ワールドパークONOKORO」

 日曜日の朝、ジェット機を背景にテーマ曲が流れる。上品で優雅なナレーション、見たこともない各国の珍しい風景…。終戦から10年あまり(昭和34年)、庶民にとって海外旅行など、“夢のまた夢”の時代に、世界各国を颯爽(さっそう)と駆けめぐる日本女性の姿は、とてもまぶしかった。

 昭和3年の生まれ。通った女学校は英国教会系のミッションスクールで、英語の魅力に取りつかれた。終戦後、その語学力が生きる。進駐軍のRTO(鉄道司令部)の仕事に関わって米国の豊かさを知り、29年に単身、米大学へ留学。帰国後は、東京駐在の英字紙のオフィスなどに勤め、国際感覚に磨きをかけた。

 「兼高かおる世界の旅」(昭和34年~平成2年、TBS系)がスタートしたときは、1ドル360円の固定相場時代。外貨の持ち出し制限もあった。移動も苦労の連続で、最初の取材先、伊ローマへは、香港で1泊し、プロペラ機で50時間以上もかかってたどりついたという。

 取材力も抜群。米ケネディ大統領(当時)の取材では、キューバ危機(1962年)の最中なのに、どんどんホワイトハウスの中にまで入り込み、見事な映像を撮ってきた。世界各国の取材相手に気に入られて、南太平洋の小島やアラブ諸国で石油の採掘権をプレゼントされたことも。

 海外旅行は今や、大衆化し、日本人は当たり前のように国境を越える時代になった。日本を訪問した外国人も昨年3000万人を初めて突破。こうした活発な国際交流の背景にも、兼高さんの貢献があったのは間違いない。(文化部 喜多由浩)

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