PR

ライフ ライフ

【お城探偵】悲劇の「星」五稜郭 不完全だった“鉄壁の防御” 千田嘉博

Messenger
隣接する五稜郭タワーから見た五稜郭。四季に応じてさまざまな表情を見せる(千田嘉博撮影)
隣接する五稜郭タワーから見た五稜郭。四季に応じてさまざまな表情を見せる(千田嘉博撮影)

 五稜郭(ごりょうかく)タワーから眺める五稜郭(北海道函館市)は、本当に星のようである。春は桜、夏は緑、秋は紅葉、冬は雪、いつ訪ねても五稜郭は美しい。はるか高みから全貌を見学できる城は日本ではほかに思い浮かばないし、世界でも珍しいと思う。星のように城壁が延びたのは、その上に大砲などの火器を配置して、敵に対して効果的な十字砲火を浴びせるためだった。こうした設計の城を稜堡(りょうほ)式城郭と呼び、死角がない鉄壁の防御力を誇った。

 1854(嘉永7)年3月、日米和親条約を締結した幕府は下田と箱館(はこだて)(函館)の開港を決定した。そして外国の侵攻から箱館を守るため、防御施設を備えた奉行所を新設することにした。フランスの稜堡式城郭を学んだ蘭学者の武田斐三郎(あやさぶろう)成章(しげあきら)の設計によって、1857(安政4)年から五稜郭の工事をはじめ、1864(元治元)年に五稜郭は完成した。

 しかし、当初設計では五稜郭の出入り口を守るために、張り出した小要塞「半月堡(はんげつほ)」を5つ建設する計画だったが、最終的に一つだけになった。また、五稜郭から一定の距離をとった周囲に7つの台場網(砲台を備えた要塞群「分派堡(ぶんぱほ)」)を建設して、敵の大砲の射程外に五稜郭を置く計画だった。ところが、実際にできたのは函館湾に面した弁天岬台場のひとつだけだった。

 「半月堡」が一つだけだったことにより、五稜郭の城壁をめぐる攻防戦が起きた際、出撃と出入り口の防御が難しくなった。ただし、城壁の攻防をするところまで敵に迫られては、勝敗はもう決したのと同じだったから、大きな問題ではない。五稜郭にとって致命的な問題だったのは、城の周囲に必要な分派堡をもたなかったことである。

 五稜郭がいくら強固な城壁を備えても、攻め手が多方向から城に砲撃を加えれば、移動できない城への命中率はしだいに上がって、とても守り切れない。稜堡式城郭の周囲に分派堡の要塞網を構築した上で、分派堡からの砲撃で敵の接近を阻止し、中心の城を常に敵の射程外に置くのが稜堡式城郭の防衛の鉄則だった。つまり五稜郭は、周囲の分派堡があって、初めて本当の実力を発揮できるはずだった。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ