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【書評】『エリザベスの友達』村田喜代子著

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『エリザベスの友達』
『エリザベスの友達』

 ■認知症の人々が造る「天国」

 記憶とは何だろうか? ひとりひとりの心に抱かれている記憶はその人が亡くなれば消えてゆく。運良く歴史の証言者となることもあるが、そうした証言者になるには遅すぎた認知症の老人の記憶とは何なのだろう? 村田喜代子は「振り返ることをおろそかにした」親世代の記憶の世界への旅を試みる。

 認知症を患うと現在に近い記憶が薄れ、遠い過去ほど鮮明になる。そんな症状をもつ老人たちが老人ホームでうつらうつらと過去の世界に生きている。美しい記憶、悲惨な記憶。彼、彼女たちは自らが背負う記憶と闘い、あるいはすがりついて記憶のさらなる深みへ降りてゆく。

 登場する人々は、みな第二次大戦の体験を背負っている。出征したまま帰らなかった兄弟や馬たちを待ち続ける牛枝さん。天津の日本租界でひととき開けた自由で華やかな生活の記憶に生きる初音さん。8人の子供を産み、出産の痛みの蘇(よみがえ)る乙女さん。許しを請い土下座を繰り返す元満州関東軍歩兵連隊二等兵。

 記憶と幻想の境界にある認知症の老人たちの記憶は現実の社会では妄言にすぎない。しかし、それは「眩暈(めまい)のするような自分だけの絶壁にたった独りで張り付いてる」なまなましい心の記録である。

 覆う物のなくなった心の体験があちこちで老人の姿をして思いのままにある、そんな場として老人ホームは描かれる。村田はそうした記憶に桂冠を捧(ささ)げるように、「あたくしは…エリザベス」と名乗らせる。自らの名も分からなくなった初音さんの名乗りは、誇り高い孤立のうちに守られる心の尊厳を象徴している。

 政治や社会の動きを追う〈歴史〉には、人間の心の体験が欠落している。時代が急ぎ足で取りこぼしてしまった大切な心の記録、人間の尊厳を認知症の人々が預かっているように思えてくるのだ。

 『蕨野行』で自己犠牲のうちに村を救う老人たちを描いた村田は、現代にその老人たちを蘇らせ心のままに生きさせる。そんな認知症の人々が造り出す「天国」は、翻って心をうち捨てて生きる現代社会の酷薄さを映し出す。(新潮社・1800円+税)

 評・川野里子(歌人)

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