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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(51)「懸け橋」となったアリラン 古賀政男、力道山も魅了

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作曲家の古賀政男
作曲家の古賀政男

 朝鮮出身の出自を隠しながら「日本人のヒーロー」であり続けたプロレスラーの力道山(昭和38年、39歳で死去)は故郷を懐かしみ、親しい人の前ではよく朝鮮民謡の『アリラン』を歌っていたという。

 朝鮮民族の魂というべきアリランは古来、地方ごとに歌い継がれたバージョンが星の数ほど存在する。力道山はどのアリランを歌っていたのだろうか。

 力道山は、大正13(1924)年=異説あり=に現在の北朝鮮に含まれる咸鏡南道で生まれている。その2年後(大正15年)に制作され、朝鮮全土で2年に及ぶロングランヒットとなった映画があった。

 羅雲奎(ナ・ウンギュウ)監督・主演の朝鮮映画『アリラン』だ。無声映画だが、ラストで弁士や歌手が劇場で歌ったアリランが「解説版」として多数のレコードに吹き込まれた。同じ頃、朝鮮でも実験放送が始まったラジオにも乗って普及してゆく。

 この日本統治時代の映画から誕生した歌がもとになって「本調アリラン」が整えられ、現在の韓国・北朝鮮のみならず、世界中で最も親しまれている“スタンダード”のアリランとなった。今年2月の韓国・平昌五輪開会式で南北選手団が統一旗を掲げて合同入場したときに流されたのも、このアリランである。

 力道山が、南北統一選手団を夢に描いた昭和39(1964)年の東京五輪。前年にスイス・ローザンヌで行われた南北体育会談では、統一選手団の団歌としてアリランを使用することで合意していた。結局、北朝鮮は東京五輪に参加せず、統一選手団も実現しなかったが、年代からみても力道山が愛唱していたのも、このアリランだったに違いないだろう。

哀調は「涙のスープ」

 このアリランは、間もなく“海峡を越えて”日本でも大ヒットする。

 映画から5年後の昭和6年、日本初のアリラン・レコードが発売された。歌ったのは「金色仮面」という覆面歌手、後に『涙の渡り鳥』で知られる小林千代子である。日本語の詞は、詩人の西條八十(さいじょう・やそ)が書いた。

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