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【話の肖像画】俳優・黒田福美(62)(4)伊丹十三さんとの出会い

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 〈演じることの喜びは早くから見いだしていた〉

 小学校6年生で演劇部に入り、中学・高校も演劇をやり続けていました。皆で一緒に一つのものを作り上げる作業がたまらなく楽しかった。一人っ子だから、人との触れ合いを求めていた部分もあったんでしょう。「女優になる」とか「芸能界に入る」なんて、これっぽっちも考えていませんでした。

 〈現在の桐朋学園芸術短期大学で演劇を学んだ〉

 演劇を学びましたが、当時は俳優なんてなれるものではないと思っていました。「高校を出て社会に出るまでの間、何か好きなことをして過ごそう」ぐらいの気持ちだったんです。私以外の同級生全員が本気で俳優になろうとしていたから余計に恐れをなしちゃって。だから私は卒業してからは会社員になっちゃうんですよね。

 〈しかし、TBS系のドラマのオーディションに応募する〉

 友人たちがお芝居をやっているのを見て、どこかでうらやましい思いもあったんでしょうね。5千人ぐらいの応募者の中で最終選考の13人に残ってしまった。会社は辞めるしかない。まさかまさか、でしたよね。21歳のときでした。

 〈スタートは順調ではなかった〉

 仕事はだらだらあって、かといって世の中にパーっと出ていくわけでもない。中途半端な状態が続きました。

 〈踏み出す契機をくれたのは伊丹十三さんだった〉

 NHKの大河ドラマ「春の波涛(はとう)」(昭和60年放送)に出演したときのことです。

 明治期の芸妓(げいぎ)で女優の川上貞奴の一代記。その貞奴を寵愛(ちょうあい)する伊藤博文を演じたのが、伊丹十三さんでした。私は端役でほとんど接点はありませんでしたが、一度、出演する俳優が一堂に会したことがありました。そこでお会いした伊丹さんのたたずまいを見た瞬間、何ともいえない感動にとらわれたんです。

 伊丹さんからすれば、取るに足らない役者の思いなんてどうでもいいのでしょうが、私はこの感動を何とか伝えたくなった。それで手紙を書いて届けることにしたんです。

 〈待っていたのは意外な言葉だった〉

 控室のドアをたたき、手紙をお渡しして、その場を後にしました。すると、伊丹さんが帰りがけにやってきて、「今度ねえ、映画撮るんだけど出てくれる」とおっしゃるんです。下心があって近づこうなんてそんな気持ちがあったわけではありませんから私は慌ててしまって。それからしばらくたったある日、伊丹さんから本当に映画の台本が郵便で届きました。それが「タンポポ」という映画です。

 〈伊丹十三監督の「タンポポ」(60年公開)で妖艶(ようえん)な情婦を演じ、存在感を示した〉

 「タンポポ」に出たことで突然、私は「食える俳優」になるわけです。(聞き手 安里洋輔)

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