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【倒れざる者~近畿大学創設者 世耕弘一伝】(5)「血と涙の結晶の半生」実名小説、苦学時代描く

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昭和14年4月発行のキング第15巻第4号に掲載された小説「学生車夫」は、世耕弘一氏をモデルに穂積驚によって書かれた=3日、東大阪市小若江の近畿大学・建学史料室(薩摩嘉克撮影)
昭和14年4月発行のキング第15巻第4号に掲載された小説「学生車夫」は、世耕弘一氏をモデルに穂積驚によって書かれた=3日、東大阪市小若江の近畿大学・建学史料室(薩摩嘉克撮影)

 世耕弘一は大正5年に旧満州(現・中国東北部)から東京に戻り、人力車を引きながら神田(現・千代田区)にあった夜間の正則(せいそく)英語学校に通った。その苦学生時代の弘一を実名で主人公にした小説が前回紹介した「學生俥夫(がくせいしやふ)」だ。弘一自身から資料の提供を受けた実話小説とされる。

 昭和31年に「勝烏(かちがらす)」で第36回直木賞を受賞した穂積驚(みはる)の初期の作品で、同14年4月1日刊行の雑誌「キング」に掲載された。

 弘一と穂積の関係を示す史料はないが、弘一の生涯を研究する近畿大学名誉教授の荒木康彦はこう話す。

 「弘一が大学時代に『日本座』と称する演劇倶楽部のようなものを結成していたくらい演劇に造詣が深かったことを考えれば、大衆演劇の座付き作家でもあった穂積との接点もあったかもしれません」

 〈名家(めいか)の令孃(れいぢやう)をのせて梶棒(かぢぼう)を握(にぎ)る若(わか)い學生俥夫(がくせいしやふ)〉

 主人公は、寝る間も惜しんで人力車の車夫として働きながら勉強して大学を目指す苦学生で、あらすじはこうだ。

 三菱財閥3代目総帥、岩崎久彌を彷彿(ほうふつ)させる「岩崎様」の駒込(現・豊島区)にある別荘から令嬢を九段(現・千代田区)の女学校に送迎する仕事を車宿の親方から紹介された弘一。十分な手間賃を確保できるため喜んで引き受け、令嬢を猛スピードで学校に送り届け、自身は正則英語学校へ。帰り道も急いで学校から岩崎邸に送り込み、自らの夜間の授業に向かった。

 夜学を済まして満たされた気分で車宿に戻ると親方から怒鳴られた。人力車のあまりのスピードに令嬢が恐怖を覚えたとして弘一の出入りを断られたのだ。親方がわびを入れてくれたため今後は気をつけるという条件で事なきを得た。

 数カ月が過ぎた頃、今度は弘一は大学の試験勉強の暗記に気を取られ、道を間違えて遅刻してしまった。そして数日後の仕事帰りに呼び止められた。弘一は2度目の失敗だったため解雇を覚悟したのだが、執事は笑顔で態度が違っていた。弘一を苦学生と知った奥様からの「本代の足し」と金一封を差し出した。しかし意外にも弘一は受け取りを固辞し、こう語った。

 「苦學(くがく)をしてゐる者(もの)は、苦學を種(たね)にして幾分(いくぶん)でも同情(どうじやう)を得(え)ようとしたがる弱氣(よわき)を、軽蔑(けいべつ)しなければなりません。さういふ弱氣が自分自身(じぶんじしん)の心の底にも潜(ひそ)んでゐるから猶更(なほさら)です」

 苦学はしても、誇りを捨てずに学業への志を持ち続けた主人公は大学に合格した。その後、ドイツ留学にも派遣されて立身出世の道を切り開く。そして作品はこう締めくくられる。

 〈世耕弘一氏(せかう・こういち)の半生(はんせい)は、このやうに血と涙の結晶(けつしやう)であつた〉 (松岡達郎)

       =敬称略

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