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【本郷和人の日本史ナナメ読み】秀忠はなぜ天皇に怒ったか 朝廷を見下していた初期の江戸幕府

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徳川秀忠像(模本、東大史料編纂所蔵)
徳川秀忠像(模本、東大史料編纂所蔵)

 前回はいつもと違うことを書いてしまったので、平常運転に戻ります。11月にぼくは「およつ御寮人事件」をどう考えるべきか、と自らに問いました。徳川秀忠の娘=和子さんが後水尾天皇の妃となる準備が進められていた。ところが、天皇はすでにおよつさんという女性との間に子供をもうけていた。「けしからん!」と秀忠は激怒して関係する貴族たちを処罰した。これが「およつ御寮人事件」。

 でも考えてみると、およつさんは「典侍(てんじ)」の職にあり、これは天皇と男女関係を結ぶのがむしろ普通。加えて「初めての子が皇位の後継者」というルールはないのだから、およつさんとのあいだに子ができても、秀忠の孫である皇子が立太子(りったいし)すればいいだけの話。なんで秀忠は怒るの?という疑問が生まれる。

 そこでA、秀忠は本当は怒ってない説。幕府は朝廷にダメージを与えたくて、機会をうかがっていた。それでチャンス到来とばかりに朝廷たたきに出たと解釈する。

 これについて前々回のお約束どおり、史料編纂(へんさん)所の同僚に尋ねてみました。すると、違うだろう、との意見が返ってきました。当時の幕府は朝廷と仲良くやっていた、というのが最近の近世史の多数派の見方だそうです。だからいまさらマウンティングはない。

 となると、B、秀忠は本当に怒っていた説になります。でも、一夫多妻が常識の時代です。倫理的な観点から、天皇も一夫一婦であるべきだ、と思っていたとは考えにくい。

 そこで徳川家からヨメをもらっている事例を思い出してみました。たとえば家康の長女・亀姫は奧平信昌(のぶまさ)に嫁ぎますが…あ!信昌には側室がいない。まあ信昌は徳川の家臣だからなあ…。いやいや、秀忠の次女・珠姫(たまひめ)を妻にした加賀百万石の前田利常。彼も、珠姫が健在なうちは側室がいない。そうか、見えてきたぞ。

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