PR

ライフ ライフ

【お城探偵】キリシタン時代の終焉と原城 籠城選んだ戦略の理由

 さらに、くまもと文学・歴史館の服部英雄館長の研究によれば、天草四郎たちは全国のキリシタンたちに一斉蜂起を呼びかけつつ、マカオを拠点にしたポルトガルの援軍を得る作戦を立てていた。有明海に面した原城は、まさにポルトガル艦隊を待つのに最適な立地であった。日本各地と結び、世界との連携を構想した一揆軍の作戦は、海で世界とつながった戦国期九州の人びとが生み出した壮大な戦略だった。

 しかし、一揆軍が期待した各地のキリシタン蜂起は起きず、オランダに東アジアの制海権を奪われつつあったポルトガルは援軍を送れなかった。結果として籠城した一揆軍3万7千人のほとんどが亡くなる壮絶な戦いの末に、原城は落城した。もし各地で一揆が起きていたら、もしポルトガルが艦隊を派遣していたら、その後の歴史はどうなったのだろう。この戦いは、たいへんな可能性を秘めていたと思う。

 さて、世界文化遺産になった原城を歩いて驚いたことがあった。原城の地面を掘削した新しい説明板があちこちにできていたのだ。世界文化遺産になったのは喜ばしいが、国史跡でもある原城をわずかとはいえ破壊する案内板を市役所が次々と立てていくのはよいのだろうか。

 従来の説明板を見てほしい。地面を掘らずに説明板を置くかたちにしたのは、原城を傷つけないようにという思慮からであった。見栄えのよい説明板のためなら原城を傷つけても気にしない南島原市役所の考え方は、悲しい。(城郭考古学者・千田嘉博)

【用語解説】原城

 有馬氏が長崎県の島原半島の突端に築いた。徳川幕府が諸大名の居城以外を破却させた1615年の一国一城令で廃城になったが、地元領主の圧政に苦しむキリシタン農民が天草四郎を大将として城跡にこもり、天草・島原の乱の舞台になった。幕府側は12万人を動員して城を攻め落とすと、再び一揆の拠点にならないよう城を徹底的に破壊した。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ