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【話の肖像画】漫画家・水野英子(79)(5)シングルマザー、後悔していない

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トキワ荘記念碑の除幕式に出席(前列中央)=平成21年4月、東京都豊島区
トキワ荘記念碑の除幕式に出席(前列中央)=平成21年4月、東京都豊島区

 〈「ファイヤー!」発表後、水野さんはシングルマザーとなり、執筆は大幅にスローダウンする〉

 妊娠が分かったときは、とてもうれしかった。夜も昼も漫画を描き続けていて、人間らしい生活をしていなかったんですよ。産婦人科の先生には「1人で育てるのは大変ですよ」と言われましたが、初めて自分に人間らしいことが訪れたと思い、産んで育てようと決心しました。確かに大変で、息子が小学3、4年生になるまでは本格的に仕事ができる態勢になりませんでしたね。それでも、子供のリズムに付き合いながら「これが本当の生活だったんだよな」と思わされることが多くありました。産んで育てたことを後悔していません。

 〈本格復帰を目指すも、困難が続いた〉

 漫画家はだいたい4、5年で入れ替わってしまうので、私が描けないでいる間に2世代が交代していました。いわゆる「24年組」(昭和24=1949=年前後に生まれた萩尾望都(もと)、竹宮恵子ら)が出てくる時期になり、私はちょっと敬遠されていたようです。「中央公論」でワーグナーのパトロンを主人公にした「ルートヴィヒII世」の連載を始めたのですが、800ページほど描いたところで廃刊になり、その後を続けさせてくれるところはありませんでした。

 〈トキワ荘は昭和57(1982)年に取り壊され、その前後から、トキワ荘に住んだ唯一の女性漫画家として注目されるようになる〉

 石森(石ノ森章太郎)さんが最後にトキワ荘を出たのが36年で、あそこに漫画家がたくさんいたのはプロでなければ知らないことでした。私もトキワ荘にいたこととは全く関係もなく仕事を続けてきました。取り壊しの前年にNHKが取り上げ、あの辺りから一般に知られ始めましたね。

 〈トキワ荘は平成32年3月、「マンガの聖地としまミュージアム」(仮称)として復元される。整備検討会議には元住人として出席した〉

 最初に出てきたものは、見せ物としてのトキワ荘みたいな感じで、全く違う。復元といえば、上から下まで“本物”にするのが当たり前じゃないですか。その後、1階には普通の人が住んでいたので展示室に充て、2階はできるだけ皆さんが住んでいたままにすることに落ち着きました。復元されたトキワ荘の価値がどのようにでき上がってくるのか、まだよく分かりません。

 〈トキワ荘の漫画家たちとは何だったのか〉

 手塚治虫(おさむ)先生と、その下の人たちが漫画の表現を飛躍的に広げました。新人を積極的に起用した編集者の丸山昭さんの力も大きかった。新人も生意気で、前の作品には目もくれないで、「こういうものを描きたい」と煮えたぎっていたんですね。そのトップに、いろんなテーマを惜しげもなく見せ続けてくれた手塚先生がいらしたんです。(聞き手 鵜野光博)

 =次回は元ラグビー日本代表の石山次郎さん

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