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【本郷和人の日本史ナナメ読み】歴史の中の「いちゃもん」 家康の手口で読み解く韓国対日攻勢

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林羅山像(模本、東大史料編纂所蔵)
林羅山像(模本、東大史料編纂所蔵)

 ぼくは右でも左でもないつもりだし、専門外のことなので政治がらみの話題についてあれこれ語ることは避けています。でも、そんなぼくでも先日の韓国の徴用工判決には驚いた。大統領主導の猿芝居による裁判(専門家の説得力をもつ指摘あり)にもかかわらず「司法の判断を尊重」と強弁し、ツートラック政策を推進して「真の友人になりましょう」ってどの口が言うんだと。盗んだ仏像を返さない判決にもビックリし憤慨しましたが、今回はほとほとあきれ果てました。

 でも、ここで冷静に考えるのが研究者の務めです。歴史にこういう「え、それなに!?」はないのか、と自問したときに、ああそうなんだ、と納得できた事件がありました。それは関ケ原の戦いと大坂の陣に至る過程での徳川家康のやり口です。

 豊臣秀吉が没すると、家康は従来の「律義者」の仮面を脱ぎ捨て天下取りに邁進(まいしん)します。その時、彼が欲したのは「大規模な戦い」。日本列島を戦争状態にして一挙に体制をひっくり返す。「革命は血を欲する」というやつで、秀吉がこれを実践して織田の天下を奪っています。後年では、西郷隆盛も明治新政府を安定させるために戦争を必要としました。徳川慶喜の処刑(主君が切腹となれば旗本・御家人はいや応なく江戸城に立て籠もりますから、それは江戸での戦いを意味します)を最後まで主張したのは、実は西郷です。

 ポイントは「大規模な」戦いというところで、だから加藤清正・福島正則らが石田三成を糾弾・襲撃したときは、むしろ三成の命を助けています。三成一人では敵とするに値しないのです。そこでまず前田に謀反の企てありとし、前田が直ちに軍門に下ると、今度は上杉。直江兼続が「いつでも相手になってやる」と啖呵(たんか)を切るとホクホクして会津征伐に向かい、彼の不在は願いどおり、関ケ原の戦いへと展開していきました。

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